イラスト:上田 耀子

長澤まさみさんが「30歳の壁」を超えられたワケ

長澤さんは2004年、16歳の時に映画『世界の中心で、愛をさけぶ』でいきなり脚光を浴びてから、清純派女優の作品が続きましたが、前述のように清純派の人気は長続きしないため、20代の頃から様々な作品に出演して模索してきました。

そのためゴールデン帯ではなく深夜枠のドラマ『都市伝説の女』(テレビ朝日)や『高校入試』(フジテレビ)などにも出演。コミカルな役から真面目な高校教師までオファーがあればほとんど受けていたのです。

そして遂に2011年、映画『モテキ』(大根仁監督)でついに清純派をかなぐり捨てました。胸の谷間や美脚を露わにし、共演男性に水を口移ししたりディープキスをするなどセクシーシーンを連発。ぶっちゃけた演技はその後の大ヒット映画『コンフィデンスマンJP』を彷彿させます。なりふり構わずの演技で女性ファンの心をがっしりとつかみました。

その後の大河ドラマ『真田丸』でのきり役も好評。

そして30歳で映画『散歩する侵略者』(黒沢清監督)で、第41回日本アカデミー賞主演女優賞などの映画賞を受賞。演技派女優として輝き続けるきっかけになりました。

「30歳の壁」の超え方は、素敵な先輩たちの背中を見たから 

ここまでの道のりはかなり厳しかったことでしょう。長澤さんは30歳になった時に、女性誌でこんな発言をしています。

「30歳という年齢に対する焦りとかは何もないですね。今が一番楽しい!20代はちょっと疲れました(苦笑)。20代ってまだまだ未熟ですから、精神的に追いついていない感じがしていて…今の方がやりたいことができているし、周りの大人たちに30代は楽しいよって言ってもらえたことに納得!という感じです」

また別の女性誌でも、年齢に関することを率直に語っています。

「私だって年齢を重ねることに対する恐怖はあります。でも、怖さよりも楽しみのほうが勝つんです。30代になって、とにかくずっと楽しいんですよ(笑)。以前よりも広い視野で物事を見られるようになったし、心にゆとりも出てきた。仕事と日常のバランスは今が一番いいですね。多分、20代の頃は余計なところにずっと力が入っていて、それでくたびれてしまっていたんだと思うんです。30歳、40歳を迎えた先輩方が『今が楽しい』と言っていた理由が、自分がなってみてわかりました」

長澤さんが年齢を重ねても怖くなくなったのは、生き方のお手本となる先輩女性たちの存在が大きいのですね。

実は「30歳の壁」を始め、女性の生き方におけるベストな解決には「良い先輩やお手本になるリスペクトできる女性の存在」が必要不可欠です。尊敬できる先輩の背中を見てついていけば、落ち込むことも少なくなります。

もし先輩に恵まれていなければ、逢ったことのないけれど実在の女性や、映画や文学、コミックなどフィクションの世界に存在する女性でも良いでしょう。大切なのは「尊敬できる素敵な先輩像」を持っていることです!

さて、30歳は恋愛だけでなく、結婚についても心が大いに揺れる時期ですね。長澤さんの20代の頃の熱愛は「30歳の壁」を超える肥やしにもなったようです。

長澤さんが特に夢中になったのは、俳優の伊勢谷友介さんでした。夢中になりすぎて、彼に染まってしまった数々のエピソードがあり、別れたりくっついたりを繰り返していました。でもやがて伊勢谷さんが「結婚する気はない」とわかると、長澤さんはそれまでの関係を清算します。つまり別れを選びました。

長澤さんは30歳手前にエンタメ雑誌のインタビューで「もっと若い頃は結婚に憧れていたけど、今は仕事仲間や友達がいれば独身でも楽しく過ごせるし、自分でもなんでも乗り越える術も知ってきてしまって……。そもそも、本当に合うパートナーを探すことが難しいです。全てはタイミングじゃないですかね」と結婚に対して冷めた見解を述べています。

おそらく伊勢谷さんとの関係で燃え尽きてしまったと推察できますが、でも結婚したいほど好きだった人に対する気持ちを吹っ切れたからこそ、30歳を超えてからも仕事に専念できたともいえますね。

今は仕事中心の「おひとり様」かもしれませんが、30代で大恋愛するかもしれません。結婚観もおそらく尊敬する女性の先輩たちから影響を受けているのでしょう。

コラムニスト、小説家、ルポライター。2万人以上のワーキングウーマンを取材し、恋愛、婚活、結婚をテーマに執筆。「英語でリッチ!」で第12回ライターズネットワーク大賞受賞。07年10万人に一人の難病を後遺症なしに完治。「生きるを伝える」(テレビ東京)に出演。ブログ:「恋するブログ☆~恋、のような気分で♪」