警策=文殊菩薩の励まし

坐禅につきものという印象のある警策(読みは、曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」)は、「警覚策励」(けいかくさくれい)の略。坐禅の際、集中できていない修行者の肩ないし背中をこの棒で打って注意を喚起する。

禅堂内で警策は文殊菩薩の手の代わりと考えられており、これで打つことは、修行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」を意味する。警策を「与える」「いただく」と表現したり、坐禅中の禅堂内を巡回し、修行者に警策を与える者を直日(または直堂)というが、警策を「与える」「いただく」前後に直日と修行者が合掌低頭したりするのは、文殊菩薩への感謝の意を表すためだ。

ちなみに警策の材質は樫や栗が多く、形状は一般に持ち手は円柱状、先端に行くにしたがい扁平状となっている。しかし警策が使われはじめたのは一説によると江戸時代からといわれ、その歴史は意外に浅い。

臨済宗と曹洞宗の坐禅の違い

臨済宗の坐禅の様子。大日向山 大陽寺にて
拡大画像表示

なお、同じ坐禅という修行ではあるが、曹洞宗と臨済宗のものでは作法にいくつか違いがある。

まず、臨済宗では壁を背にして行うのに対し、曹洞宗では壁に向かう。

直日(直堂)の警策の長さや持ち方も違い、臨済宗では警策を右肩に担ぎ、曹洞宗では体の中央に立てて堂内をまわる。警策を与える際も、臨済宗では法界定印の親指同士が離れていないか、曹洞宗では坐禅の姿勢が前かがみになっていないかといったことが基準とされる。

曹洞宗の坐禅の様子。大雄山 最乗寺にて
拡大画像表示

与える際は、臨済宗では直日は警策で正面から左右の背中をそれぞれ、夏季は2打、冬期は4打する。季節によって打数が異なるのは、衣服の薄さなどの違いによるとされるが、季節を問わず3打ないし4打を与える場合もある。曹洞宗では警策で背後より右肩を1打。左肩には袈裟がかかっているので打たない。

思想としても、臨済宗が坐禅と公案(師が弟子を悟りに導くために用いる、いわゆる「禅問答」)によって悟りをめざす「考案禅(看和禅)」をとり、坐禅を中心にした修行によって心の本性が明らかにされ悟りが得られるとするのに対し、曹洞宗では公案を用いず坐禅修行に徹する「黙照禅」の立場をとる。道元は何かの手段・目的のために座るのではなく、坐禅そのものが目的である(黙々と坐禅することによってのみ己の内なる仏性に出会える)という「只管打坐」を説いた。とはいえ、両者に通じる禅の教え自体は、達磨大師によるといわれる左の「四聖句」がベースになっている。

三黙道場とは

「三黙道場」という言葉を耳にしたことのある人もいるだろう。これは曹洞宗で定められた、静かに行動するべき3つの場所のことである。

まずは「僧堂」。ここは坐禅を組んだり食事や睡眠をとる場所だ。そして「東司」(トイレ)と「浴司」(お風呂)。いずれもふとしたことで気がゆるむと、おしゃべりをしたり音を立てたりしがちな場としてそれを戒めるために定められた。

話していない人には、話している人の声が大きく聞こえてくる。話し声がなくなると、次は戸を開ける音、扱う食器の音、ものを食む音など様々な生活音が聞こえてくる。自らの発した音で周囲の人の邪魔をしないよう、修行僧たちはまったくの無音で行動できるよう「三黙道場」の戒めを胸に細心の注意を払う。

入浴も食事も清掃も、ただひたすらそれに集中すること。「言葉を超えた真理は言葉では説明できない、真理はただ体感されるのみ」と説いたという達磨大師。禅の本質は、言葉ではなく行動をとおして触れることができるもの。日々の行いのすべてが修行であり、悟りへと至る道なのである。

雑誌「修行体験&宿坊ぴあ」 発売中! 

仏教の文化と作法、宿坊、座禅、写経…のすべてがわかる完全ガイド。
自分を見つめなす場所が、ここにあります。(2013/01/18発売)

ぴあBOOKSHOP [ http://piabook.com/shop/g/g9784835621760/ ]
Amazon [ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/483562176X/urepi-22/ref=nosim/ ]