マニュアル本学生との戦い

1997年4月。人事に配属になった私は、上司である人事課長から、図書券を大量に渡されて、「これで就活本買えるだけ買ってきてくれる?」と言われた。そう、書店にある就職活動マニュアル本を買い漁ってこいということだ。私の人事の初仕事は、通称「就活マニュアル」といわれる本を買って、その中身をパソコンに転記することだった。

それから一部の面接を任せられるようになり、張り切って就活生に対して質問を投げかけた。しかし、10人、100人と面接していく中で、張り切りは失望へと変わっていった。

面接していく就活生が一様に、私が転記したマニュアル本そっくりか、すこしアレンジした回答ばかりだったからだ。結局マニュアル本も100冊近く読んだが、中でもひどいのは、自己PRはこう答えましょうと添削までついているのだ。これでは学生の個性など生まれるワケがない。模範解答がついているのだから。しかもその本がベストセラーとして平積みにされている。

人事経験10年の人事課長は、「まあ学生なんてそんなものだから、仕方ないよ」と諦めている様子で、自身も人事、とくに採用という仕事に誇りがもてなくなり、「優秀な学生を説得して採ってやる!」という気持ちは、年が経つごとに薄れていった。

こうして、マニュアル本学生との戦いは数年にわたって続いた。しかし戦いといっても、人事には採用人数というノルマがあり、戦わずにしかたなく通すという暫定合格で、人数だけは集まったものである。
(余談だが、この世代に採用した新卒社員は、2013年現在、全員が退職している。)

その後転職し、次の会社では、面接全般を任せられるようになったので、面接の形式をがらりと変えた。質疑応答方式から、完全対話形式に改めたのだ。

改めた初回の面接はひどかった。会話にならないのだ。就職超氷河期が終わり、すこし温暖化していた時期ということもあって、良い学生といったら学生の方に失礼だが、これはという人には一人も出会わなかった。筆記試験を通った500人に会ってこれである。

とにかく対話にならないことが続き、予定人数を採用できないということは、人事にとって致命的失策なのだが、在籍していた会社は前職と違い、「良い人がいなければ、一人も新卒は採らなくても良い」という方針だったため、楽と言えば楽であった。マニュアル本学生は落とせばいいのだ。採用人数は結局2名。3000人応募があったが、寂しいがしかたのない状況だった。