『耳なし芳一』の稽古風景 『耳なし芳一』の稽古風景

4月13日(土)からKAAT 神奈川芸術劇場で『耳なし芳一』が上演される。宮本亜門が演出の采配をふるう稽古場に潜入し、その内容を探った。

2011年の『金閣寺』から続けられている〈NIPPON文学シリーズ〉の一環として企画された。KAAT芸術監督の宮本が同シリーズで示すのは、“我々はなぜ生きるのか、どのようにして生きるのか”という根源的な問いかけだ。そしてそれは、日本人の価値観と美意識を見つめ直すことから始まる。

今回の眼目は、外部からの視点を取り入れたことだろう。『耳なし芳一』の原作者である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1850年に英国領だったギリシャで生まれ、アイルランドで幼少期を過ごし、アメリカで新聞記者として勤めた後、40歳で来日した経歴を持つ。世界各地を渡り歩いてきた彼が、なぜ、終の住み処を構えるほど日本文化に傾倒していったのか。その生き様と創作物に目を凝らせば、現代日本人にとっても大きな発見があるに違いない。

小泉八雲は、妻・節子から聞いた数々の怪談の中に日本らしさを捉えた。『耳なし芳一』で描かれるのは、壇ノ浦の戦いで命を落とした平家一族の怨念だ。『平家物語』を聞くことで自らを慰めたい怨霊たちは、阿弥陀寺に住む琵琶法師・芳一の腕前に目をつけ、彼に弾き語りを強要する。事態を心配した寺の和尚は、対抗策として、芳一の全身に般若心経を書き写して彼を守ろうとする。

芳一の物語に、小泉八雲の創作風景を重ねて描く多重構造。清新かつストイックな印象の山本裕典が芳一を演じ、八雲には重厚な存在感を放つ益岡徹が扮する。盲目の芳一も、若い頃に左目の視力を失った八雲も、闇の世界と向き合わざるを得なかった。そんなふたりの心情が時にシンクロし、作用し合いながら、舞台は進んでいく。一方、安徳天皇の姿をパペットで表現する発想が面白い。声を担当する安倍なつみは、セリフに豊かな表情を持たせ、この世のものではない幼き魂に心を込める。

ほかにも宮本は、小野寺修二の振付、引き戸を多用した抽象的な美術、大駱駝艦のメンバーによる舞踏、ポーランドから招いたクリエイターが手がける映像など、観客の想像力を喚起するような、様々な趣向を盛り込んだ。見えないものを見、声なき声に耳をすます。合理性より感受性を大切にしてきた日本人の心に響く舞台といえそうだ。

公演は、KAAT 神奈川芸術劇場 ホールにて4月13日(土)から21日(日)まで。チケット発売中。