羽田澄子監督

1950年、岩波映画製作所に入社し、1957年に初演出作品『村の婦人学級』で記録映画作家デビューを果たした羽田澄子監督。そこからキャリアを重ねて50年以上、まさに女性記録映画作家の先駆者といえる羽田監督は、80代に突入した今も精力的に作品を発表している。2011年の『遙かなるふるさと 旅順・大連』に続く新作『そしてAKIKOは… ~あるダンサーの肖像~』では日本モダン・ダンスの第一人者、アキコ・カンダを見つめた。

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実は羽田監督、今から30年近く前、ダンサーとして円熟期を迎えていた40代のアキコを追ったドキュメンタリー『AKIKO―あるダンサーの肖像―』(85)を発表している。今回再び彼女と向き合った経緯についてこう語る。「前作以降も交友は続き、彼女のダンス公演は欠かさず足を運んでいました。今回の作品で使用した様々な年代の公演映像を観ればわかるように、年齢を重ねる中で彼女自身のダンスも身体も変化していく。本人もそれを記録に残しておきたい気持ちがあって“また撮ってほしい”と彼女にずっと言われ続けていたんです」。

2010年、遂にすべてが整い羽田監督はアキコ・カンダの撮影に臨む。だが、残された時間はあまりに短かった。2011年9月、アキコ・カンダは75歳でこの世を去ってしまう。「撮影に入ってから、アキコさんがガンであることを知りました。でも、私の中では彼女がこの世からいなくなるなんて想像できなかった。撮影はまだまだ続くとばかり思っていたのに、途中で彼女を看取るとは…。完成に向けた作業は苦しいものでした。特に生前の彼女とどうしても向き合わないといけない編集作業は辛かった。これほど精神的につらい仕事は今までなかったかもしれません」。

悲しみを乗り越えて生まれた作品は、若くして渡米してダンスを学び、ダンサーとして才能を開花させたアキコ・カンダの生涯と肖像、そしてダンサーとしての足跡を克明に映し出す。中でも体力の限界を超え、生命の限りを尽くしたダンスを見せる最後のリサイタルの映像は忘れがたい印象を残す。羽田監督は「彼女のダンスを初めて観たときの感動は今でも忘れられません。この作品を通して、ひとりでも多くの人にアキコ・カンダの存在を伝えられたらと思います」。

最後に今後について聞くと現段階で次回作の具体案はないが、「今後も時間の許す限り、記録映画を作り続けていきたい」とのこと。ぜひとも生涯現役の道を歩んでほしい!

『そしてAKIKOは… ~あるダンサーの肖像~』
公開中

取材・文・写真:水上賢治