土屋豊監督

昨年の東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門で作品賞を受賞した『タリウム少女の毒殺日記』。『新しい神様』など、常に社会を鋭く斬る作品を発表し続ける土屋豊監督の最新作となる本作は、今年最大の賛否を呼ぶであろう問題作といっていいかもしれない。今回の試みについて土屋監督に話を聞いた。

作品の画像

今回、土屋監督が着目したのは2005年に起きたタリウムによる母親毒殺未遂事件。娘が実の母親にタリウムを飲ませて殺害しようとしたとされ、当時、センセーショナルに報じられたこの事件に興味を抱いた理由をこう明かす。「少女がいじめられていたことなど、いろいろと報じられましたが、僕の心に留まったのは彼女のブログです。その文面を僕なりに紐解くに、少女の中で昆虫の生態を観察することや動物を虐待することと、母親へ毒を投与する行為が同一線上にある。つまり母親も観察対象でしかない。こういう思考回路の人間に僕は会ったことがない。でも、現実に彼女は存在している。この彼女の存在に思いをめぐらすことは重要ではないかと思いました。また、彼女の視点から現代の何かが見えてくる気もしました」。

作品は、動物と母親、さらには学校で執拗なイジメにあう自身さえ観察対象にするタリウム少女が主人公。冷徹な目線でこの世界すべてを見据える彼女の存在が起点となって、生と死、科学の進歩とモラルの境界線、監視社会など、タブー視されがちながら、今の社会にあって議論すべき問題が次々と浮かび上がる。土屋監督は「賛否あるのは望むところ。この作品が現代の社会へのひとつの問題提起になってくれたらこれほどうれしいことはない」と語る。

また、題材も刺激的ならば、映画の構造自体も斬新。フィクション、ドキュメンタリー、アニメ、フェイクドキュメントが並び、スマホやグーグルアース、YouTubeといった現代の映像ツールも随所に登場する。これほど様々な手法をひとつの作品に入れ込んだ映画はそう見当たらない。この点について土屋監督はこう明かす。「目指したのは映画の階層化。様々な事柄をレイヤー構造で映し出し、そこにさらに比喩を隠すことで、観客が自身の意見や見解を深めていく、そんな映画を目指した。現代ツールを入れたのは、物の見方や尺度がすでにスマホやパソコン的になりつつある気がするので、その感覚を映画で表現したかった」。

とにかく本作はひと言では語りつくせない内容と斬新な構造からなる映画であることは確か。その目で真偽を確かめてほしい。

『タリウム少女の毒殺日記』
公開中

取材・文・写真:水上賢治

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