(C)2022 映画「アイ・アム まきもと」製作委員会

『アイ・アム まきもと』(9月30日公開)

 『舞妓 Haaaan!!!』(07)『なくもんか』(09)『謝罪の王様』(13)の水田伸生監督と阿部サダヲが4度目のタッグを組み、英・伊合作の『おみおくりの作法』(13)を原作にしたヒューマンドラマ。

 庄内市役所で、人知れず亡くなった人を埋葬する「おみおくり係」として働く牧本(阿部サダヲ)は、故人の思いを大切にするあまり、世間のルールを無視し、周囲に迷惑を掛けてばかりいた。

 そんなある日、新任局長の小野口(坪倉由幸)が「おみおくり係」の廃止を決定。孤独死した老人・蕪木(宇崎竜童)の案件が最後の仕事となった牧本は、蕪木の身寄りを探すため、彼の友人や知人を訪ね歩く。

 そして、蕪木の人生をたどり、彼の知られざる思いを知った牧本自身にも少しずつ変化が起こり始める中、蕪木の娘・塔子(満島ひかり)と出会う。

 几帳面で誠実だが孤独で変わり者という牧本のキャラクター設定は、オリジナルのジョン・メイ(エディ・マーサン)と同じだが、水田監督と阿部のコンビ作ということで、多少コメディーの要素も入れ込んでいる。

 『おみおくりの作法』のウベルト・パゾリーニ監督にインタビューした際に、「脚本のきっかけは、実際の民生係の仕事についての記事を読んだこと。そこに、孤独、死、人と人とのつながりについての普遍的な問題が含まれていると感じた」と語っていたが、そうしたテーマも概ね踏襲している。

 ただ、両作の大きな違いは、イギリスと日本との埋葬や葬儀の仕方、あるいは制度の違いに寄るところが大きい。イギリスでは、孤独死した人は何人かが一緒に同じ穴に埋葬され、墓標はなく番号だけが表示されるというが、日本では火葬された遺骨をどうするのかが焦点となるからだ。

 その点、この映画は、やはり引き取り手の無い遺骨が登場する『川っぺりムコリッタ』との共通性もあり、今の日本が抱える問題の一つとして提起している。

 また、死者に思いを込め過ぎる牧本に対して、小野口局長に「葬式というのはね、結局遺族のためのものですよ」「死んだら何も残らない。それでおしまい」という現実的な意見を言わせるところも効果を上げている。

 その分、牧本が自分が弔った人々の写真を丁寧にアルバムに収めていくシーンが、オリジナル以上に印象に残ることになる。それは亡くなった人たちの生きた証しであり、人は決して無名でも無縁でもないことを表しているからだ。そしてこれがファンタスティックなラストシーンへとつながる。

 パゾリーニ監督は『おみおくりの作法』を作る際に、黒澤明監督の『生きる』(52)や小津安二郎監督の諸作を参考にしたと語っていた。そう考えると、この映画は一種の“里帰り映画”となるのかもしれないと感じた。

『マイ・ブロークン・マリコ』(9月30日公開)

 無為な日々を送るOLのシイノトモヨ(永野芽郁)は、テレビのニュースで親友のイカガワマリコ(奈緒)が自殺したことを知る。突然の出来事にシイノはうろたえるが、自分ができることを考えた末、マリコを虐待していた父親(尾美としのり)から遺骨を強奪して逃亡。マリコの遺骨を抱いて旅に出る。

 平庫ワカの同名コミックをタナダユキ監督が映画化。『川っぺりムコリッタ』『アイ・アム まきもと』に続いて、またも遺骨絡みで生と死を見つめる話が展開する。もはやこれは単なる偶然ではなく“不思議な流行”とでも呼ぶべきものなのかもしれない。

 世をすねたように生きるシイノと、父親や恋人からの虐待に遭い、精神的に壊れていくマリコが主人公だけに、話は暗く、重苦しいのだが、乱暴な言葉遣いの割に、根は優しくたくましいシイノの姿に救われる思いがする。

 そして、シイノが旅先で出会ったマキオ(窪田正孝)の「もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか。あなたの思い出の中の大事な人と、あなた自身を、大事にしてください」という言葉が、この映画のキーワードとなる。

 永野と奈緒が、これまでのイメージを一変させるような好演を見せるが、女性の心理や行動原理という点では、これは男性の監督では撮れない映画だったのでは、という気もした。

(田中雄二)