北条義時役の小栗旬 (C)NHK

 NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。物語はいよいよクライマックスに差し掛かりつつあるが、一足先に全48話の撮影を終えた主演の小栗旬(北条義時役)が、脚本の三谷幸喜や、共演者とのエピソードを中心に作品を振り返ってくれた。

-クランクアップ後、三谷さんとはどんなやりとりをしましたか。

 クランクアップの翌日、「全部終わりました。やり切ってきました」とメールをしたら、三谷さんから「ご苦労さまでした」みたいな返事がきました。やっている間は、出来上がったものをご覧になった三谷さんから、時々、「あそこのシーン、最高でした」とか、「あそこの表情が素晴らしかったです」みたいなメールをもらっていたんですけど、終わった後はそんな一通ずつのやりとりだけです。

-そうでしたか。

 ただ最終日は、僕と小池栄子ちゃんの2人だけの撮影だったので、前日から「僕たち2人しか体験しない状態だね」なんて言いながら、2人でものすごくそわそわしてしまい、栄子ちゃんと「ちゃんと眠れていますか」みたいなメールのやりとりをしていたんです。その流れで、僕が三谷さんに「眠れません」とメールしたら、三谷さんから「前日に言うことじゃないかもしれないけど、小栗さんは完璧な義時だったから、安心して明日を迎えてください」みたいな返事を頂いたので、「すてきなメッセージですね」と返したら、「寝起きにしては、なかなか気の利いたこと書いたでしょ」という返事が来ました(笑)。

-小池さんのほか、義時の盟友・三浦義村役の山本耕史さんなどは、クランクインから最後まで一緒に現場を過ごしてきたと思いますが、その印象はいかがでしたか。

 耕史さんや栄子ちゃんは「きっとこういうふうに旬くんは考えているんだろうな」とよく理解した上で、的確に自分のキャラクターを表現するためのリアクションを取ってくれるんです。だから、自分が怖がらせるような芝居をしたり、大きくキャラクターを見せたりする必要がないんです。そういう相手とお芝居をすると、無理しなくていいんだなと思う瞬間がいっぱいありました。そういう意味で、他の方たちも含め、今回は共演者の方々にすごく助けられました。

-中でも、小池さん演じる姉の政子は、義時が鎌倉や北条家を守っていく上で不可欠な存在でしたが、2人の関係をどう捉えていましたか。

 政子のおかげで北条の人たちは人生が変わってしまったので、そこには思うことが、いろいろありなんですけど…。ただやっぱり、義時としては、ずっと一緒に過ごしてきて、「いいことはいい、悪いことは悪い」という基準が、昔から変わらない政子は、守りたいものの一つだったんじゃないかと。これはあくまで「鎌倉殿の13人」の中での話ですが、「義時が最後まで守りたかったものは、何だろう?」と考えたとき、政子や息子の泰時(坂口健太郎)のそういう純粋さではなかったのかなと。

-というと?

 要は、昔の自分を見ているような感じだったと思うんです。本当は自分も政子や泰時のような考え方をしていたのに、それができなくなってしまった。だから、自分に楯突いてくる彼らを見て、「100パーセント守りたい」、「これを屈折させるわけにはいかない」と思った。それが、義時が最後まで守り抜こうとしたものだったのかなと。そこは、僕の中でも肝だったかもしれません。それを真っすぐに演じてくれる栄子ちゃんや坂口くんとのお芝居も、楽しかったです。

-坂口さんが登場する後半は、物語のトーンも重くなり、共演者の顔ぶれも変わってきましたが、現場の雰囲気は、前半とどう変わりましたか。

 基本的にほぼ変わっていない気がするんですが…。ただ、前半は現場の中で僕がだいぶ若い方だったんですけど、後半は急にお兄さんにならなければいけなくなり、「面倒くさいな」と思っていました(笑)。というのは冗談ですけど、周りより比較的年下でいられるときって、楽なんです。先輩方や、それこそ“大御所”と言われる方もいらっしゃる前半は、「現場の在り方」みたいなものに、それほど気を使わずに済んだので。でも後半、だんだん若い人たちが増えてくると、彼らが背負わなければいけないテーマみたいなものもいっぱい出てくる。そういうときは、できる限り環境をよくしてあげたいですから。もちろん、そういうことに気を使いながら過ごすのも、自分が好きでやっていることなんですけど。

-座長として背負うものも大きいですよね。

 とはいえ、1人で作っているわけじゃないですから。主役をやるとそんなふうに言われますけど、現場を作っているのは、どちらかというとスタッフのみんななので。今回で言えば、間違いなく(チーフ演出の)吉田照幸という監督が作る現場の空気がそのまま、撮影以外の場所でも浸透していたというか。風通しがよく、変な緊張感もなければ、みんなが意見できる環境があり、そこにそれぞれが自分の持ってきたものを持ちながらいる、という現場だったので。僕が率先して「自分が何かしないと、この現場まずいな」と思うようなことは一つもなく、ずっと楽しくいさせてもらった感じです。

-そういう現場から生まれた作品は、歴史好きな方や大河ドラマファンだけでなく、幅広い視聴者から受け入れられましたが、その要因をどう捉えていますか。

 この「鎌倉殿」が今、皆さんに面白がってもらえている理由は、やっぱり物語の力だと思います。自分たちが見ても面白いと思いますし、受け取った脚本がいつも、僕らを演じることに対して前向きにさせてくれましたから。それに応えるべく、演出や美術やいろんな部署が、一生懸命その世界観を作ろうとして相乗効果が発揮された結果が今につながっているわけで。

-そういう意味では今回、改めて感じた三谷脚本の魅力は?

 全48回を通して、こんなに説明ぜりふが少なくて済んだ脚本はなかなかないと思っていて、そこがまず一つ、三谷さんの優れた部分なのかなと。起きている事象とそれぞれの人が言う言葉によって世界観が見えてくる状況が脚本に書かれていて、感情にそぐわないせりふや、見ていれば分かるのに、みたいなものが全くなかったんです。それは、俳優としてはすごくありがたかったです。

-三谷さんは、あらかじめ人物像を固め過ぎず、小栗さんたちの演技を見て肉付けしていった部分も多かったようですね。

 作品が転がり始めて、自分たちが演じたキャラクターを見てからの方が、きっと三谷さんは脚本作りがはかどる方なんだろうなということはすごく感じました。ああいう最終回を書いてくれたこともすごいですし、上げたらきりがありませんが、大河ドラマをこよなく愛している方だなということはすごく伝わってきました。僕が偉そうに言うのもなんですが、今回は本当に、神がかっていたんじゃないかと思うぐらい、毎回、台本を読むのが楽しみでした。だから、大河ドラマという場所で、三谷幸喜さんの脚本で、こういう形でできたことが、自分にとっては一番ありがたいことだったなと思っています。

(取材・文/井上健一)