水谷豊

累計発行部数340万部を超える妹尾河童の大ベストセラーを映画化した『少年H』で主人公・Hの父親を演じた水谷豊。出演を熱望していたという戦争をテーマにした作品への思いを語ってくれた。

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水谷が生まれたのは敗戦の7年後。「世の中は高度経済成長に向かっていく真っ最中。もうあまり戦争の爪跡は残ってなかった…。駅の近くにアコーディオンを持った傷痍軍人さんがいたのは覚えています」。親の話や本、ドキュメンタリーなどで戦争に触れることでその悲惨さに対する思いは積み重なっていった。そして役者の道を歩む中で、いつしか心の内にある欲求が棲みつく。「いつかチャンスがあれば戦争映画に出たい。何がきっかけというわけではなく、そういう思いは常にありましたね。映画は娯楽ですが、歴史を残すという側面を持っている。二度とあってはいけないという思いに加え、この原作は人の素晴らしさも描いていて、そこにも惹かれました」と明かす。

撮影のさなかに60歳の誕生日を迎えた。還暦という節目でこの作品と出会ったことを水谷は運命として受け止めている。「“なぜ”も“いつから”もわからないんですが、僕自身、60歳まで俳優を続けることができたなら、その時に新しいものと出会って何かが始まると信じてました。いまにして『それがこの作品だったんだ』と感じています」と感慨を込めて語る。

Hの父親・盛夫の姿や考えはあの時代において少数派であり、実に魅力的だ。水谷は原作を読みすぐに「これは誰にも演らせたくない。自分が演じるべき役柄」と確信したという。「生きにくい時代、戦争に向かっていく日本で、人らしく生きようとするのは難しかったけど、彼はそれを捨てようとしない。仕立て屋で海外の人との付き合いがあったことも大きいけど、それ以上に彼の本能の強さでしょうね。一方で“正しい”ことだけでなく、そんな時代をどう生きたらいいか? 正義感とは別のものを必要とする生き方をも子どもたちに教えていくしなやかさも持ってるんです」。

盛夫とは対照的に、戦時中は戦争を賛美し、敗戦後はアメリカや民主主義を称える人々の姿も描かれる。現代から見ると彼らの姿は滑稽にさえ映るが、我々は彼らを笑えるのか? まさにこの点が“いま”この物語を映画にすることの意味でもある。「盛夫の言ってることは考えてみたら当たり前のことばかり。いかに当時、人々の感覚が麻痺していたかということですよね。現代もまた、当時とは違いますが、潔く前へ進むには生きにくい時代だと思います。情報が多すぎて、自分を持っていないと何が正しいのか分からず、ふと気がついたらどこかに連れて行かれてるかもしれない」と語った。

『少年H』
8月10日(土)から全国ロードショー取材・文・写真:黒豆直樹