水谷豊

水谷豊の代表作は? と尋ねれば『相棒』が一番に挙がることは間違いない。主演映画『少年H』が公開を迎えたが、水谷自身でさえ「多くの人が観るとき『あぁ、杉下右京の水谷ね』と思うでしょうね」と認める。だがその顔にはイタズラを仕掛けた子供のような笑みが張り付いている。その真意やいかに?

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40代の終わりから50代の多くの時間を捧げてきた『相棒』。俳優のキャリアにとってひとつの役のイメージで固まってしまうことが足かせとなることは? そんな問いに水谷は「マイナスな面は全くないですよ」と穏やかに、しかしハッキリと言う。「若いときからありますが、確かにある作品がヒットするとそのイメージが強くなって、観ている方に他の役をなかなか納得してもらえなくなるという現実はあります。でもそれだけ振り幅が大きくなるわけで、良い意味での裏切りを見せられるというのは、俳優として楽しみでもあるんです」。

今回、『少年H』でHの父親・盛夫を演じる上では「僕の中に右京の影など一切ありません」と言い切り、「『杉下右京の水谷豊だ』――最初はみなさんそう思うでしょう。でもね、観終わったらそんなこと忘れてると思いますよ。さて、どれくらい忘れてもらえるか…上手くいけば役者冥利に尽きますね」。

息子を導く父親を演じるという点も『相棒』とは異なる特徴。閉塞した時代の中で、盛夫は時流に簡単に流されるでもなく、時代に抗い命を無駄にするでもなく、しなやかに「生きる」ことをHに教える。“父親”水谷豊のスタンスは? と尋ねると「何かを教えるというよりは生き方を見せるしかなかったような気がします」と漏らす。「盛夫が空襲を境に人が変わったようになるところがあります。理想の父親でいようとしても時代がそれを許さない。あの姿を見ると、子どもに言葉で理想を語ろうとは思えない。自分の背中を見てもらうしかないし、実際に子どもというのは言葉ではなく親の生きる姿を見て、勝手に学んでいくものなんでしょうね。僕はそこに幸いにも若い頃に気づいた。理想通りには進まないし、カッコつけてもしょうがない。だから、僕が立派な父親だったかどうかは何とも言えません(笑)。僕自身、そうやって親を見て育ってきたのかな」。

それは、若い世代の俳優たちに向けた思いのようにも聞こえる。「そこも言葉ではなくてね。『あんな大人になりたくないな』という人っているでしょ(笑)、誰にでも。僕もそうはなりたくない(笑)。年相応でいいけど、相応に良い世界を持ってないと下の世代から見て魅力的に思えないでしょ。教えるでも見せるでもなく、ハツラツとして前を向いてそこに『いる』しかないですよね」。

『少年H』
公開中

取材・文・写真:黒豆直樹