『楽園からの旅人』 (C) COPYRIGHT 2011 Cinemaundici

みずみずしい詩情に満ちあふれた名作『木靴の樹』で知られ、06年の『ポー川のひかり』で健在を示したイタリアのエルマンノ・オルミ監督の新作である。オルミは『ポー川のひかり』を最後に劇映画から引退すると宣言していたが、なぜかそれを撤回。この『楽園からの旅人』を観ると、切迫した危機感のような衝動に駆られて本作を撮ったであろうことがひしひしと伝わってくる。

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映画は、ひとりの年老いた司祭の嘆きから始まる。彼が長年仕えてきた神の家、すなわち教会が取り壊されることが決まったのだ。解体業者の一団が礼拝堂に乗り込んできて、クレーン車を使ってキリスト像を引き下ろし、壁に掛けられていた絵画や聖像を手際よく片づけていく。こうして空っぽになった礼拝堂に大勢のアフリカ系難民が転がり込んできて、孤独と無力感に打ちひしがれていた司祭は彼らへの対応を迫られる。

カメラは全編に渡って教会の中にとどまり続け、まるで一幕ものの舞台劇を観ているかのよう。しかしステンドガラスの天窓をあしらった礼拝堂には幻想的なムードが漂い、陰影に富んだショットの数々は絵画のように美しい。やがて雨漏りの水が泉となり、大量のロウソクの灯りでお湯が沸かされ、難民の若い娘は聖母マリアのごとく赤ん坊を出産する。あちこちにちりばめられた宗教的なメタファーを読み解くのは容易ではないが、ただならぬ神秘性が宿った映像から目が離せない。そしてどこからともなく聞こえてくるヘリコプターの轟音、パトカーのサイレンに耳をも刺激され、不穏な胸騒ぎを覚えずにいられない。ひょっとすると教会の外では、すでに世界の破滅が始まっているのではないか。そんな不気味な想像力をかき立てられるうちに、このうえなくミニマルな映画が終末SFのようにも見えてくる。

近年のヨーロッパでは難民問題を扱った社会派ドラマが数多く作られているが、老匠オルミは難民や宗教をめぐる現代の危機的な状況を、神のしもべたる司祭の受難と苦悩の物語に重ね、多様な解釈が可能な寓話へと昇華させた。都合のいい奇跡も救済も起こらないラスト・シーンをどう受け止めるべきか。それもまた観る者の感性に委ねられている。

『楽園からの旅人』
公開中

文:高橋諭治