大友啓史監督 (C)エンタメOVO

 木村拓哉と綾瀬はるかの共演で織田信長と正室・濃姫の知られざる物語を描く、東映創立70周年記念作『レジェンド&バタフライ』が、1月27日から全国公開された。監督は、『るろうに剣心』シリーズの大友啓史、脚本は「どうする家康」の古沢良太が担当した。大友監督に、映画に込めた思いなどを聞いた。

-まず、この映画の監督をすることになった経緯からお願いします。

 最初に、東映のプロデュースチームから、「木村拓哉、綾瀬はるか共演、古沢良太脚本で、東映70周年の時代劇作品を作りたい。『龍馬伝』で大河ドラマを変え、『るろうに剣心』で邦画のアクションを刷新したように、今度は新しい時代劇を作っていただけませんか」というオファーがありました。散々やり尽くされている信長ということだったので少々迷いましたが、新しい時代劇を作るというチャレンジ、座組の魅力、そして木村拓哉、綾瀬はるかという2人の俳優と仕事をしてみたいという思いがそれを上回りました。

-監督にとっての織田信長のイメージは?

 もう25年ほど前になりますが、僕は大河ドラマの「秀吉」に関わっていて、そのときの信長役は渡哲也さんでした。なので、僕にとって信長のイメージの原点は、間違いなく渡さんです。そのカリスマ性にちょっと近寄りがたい迫力すら感じましたが、一方で、僕のような若いディレクターにもちゃんと向き合ってくれる優しさもありました。脚本上も、部下や敵将からするとものすごく怖いし、何をするか分からないという側面が強調されていましたが、一方で、秀吉の妻に気配りと情にあふれた手紙を送るなど、人情深い側面もドラマではしっかり描かれていました。今回の信長も、人としての手触りはそれに近いのかなと思います。

 歴史上の人物を描くとき、われわれはどうしても既成のイメージにはめ込みがちです。誰もその時代に生きていたわけではなく、真実は分からないのにも関わらず、です。「龍馬伝」の時もそうでしたが、僕らの仕事は、歴史上の人物をその業績などで評価することではなく、われわれと同じ人間であった「彼」または「彼女」が、どういう経験を経てわれわれの知る人物になったのか、どういう葛藤を抱えていたのかというような、人間としての成長やドラマを見つけていくことです。偉人として扱うのではなく、なるべく「彼らも、僕らと同じ人間だった」という感覚を大事にしたい。脚本の古沢(良太)さんも同じスタンスでしたから、今回は部下やライバルから見た男性的な視点による信長ではなく、濃姫という正室から見た、“身近な人間としての信長”を描く選択をしたのだと思います。

 今回、木村さんも、「実在した先人に敬意を払いながら、人間信長をしっかり演じたい」と言っていましたしね。そこが今回のオリジナルですね。2人の、夫婦としての物語の中から、信長の弱さや迷いも含めた人間味を描き出す。それには、信長が背負っていたものや、当時の状況を映像で表現しなければならないので、そこからイメージが大きく膨らんでいった感じです。

-有名な信長に比べると、濃姫はあまり史料も残っていないので、その分、描く際には自由度が高いですよね。

 古沢さんの脚本は、初稿の段階から自由奔放で勝ち気な女性として描かれていました。「もし濃姫が男だったら、天下を取ったのでは」ということすら想定していたように思います。濃姫は、記録にはほとんど残っていませんが、マムシと呼ばれ知略に優れていた斎藤道三の血を受け継いでいるので、当然武芸のたしなみもあっただろうと。そう考えると、フィクションではあるけれども、われわれの想定は全く実像と違うとは言い切れないと思います。

 演じた綾瀬はるかさんはまさに適役で、体も動くし、馬にも乗れるし、所作もしっかりしている。戦国時代の武将の娘を演じる素養や技術をしっかり備えつつ、現場ではすごくニュートラルに濃姫と向き合ってくれました。僕の中では、信長にしても濃姫にしても、もしあの時代に自分が生きて彼らを目撃していたら、こういう人たちだったのでは、と納得するところまで落とし込めたかなと思っています。

-この映画の核は、政略結婚からの変化。そして不器用な、ツンデレな夫婦の物語というところですね。

 そうですね。言われてみれば、どっちが先に「好き」と言うか、そういう物語でもありますよね。どっちも、もっと素直になればいいのに、という(笑)。「好きと言えない」不器用な愛っていうのは、当時「ツンデレ」という表現こそありませんでしたが、すごく昭和っぽい気がしますね。なかなか愛の言葉をささやけないわれわれの世代からいうと、2人の関係は妙にリアルだし、逆に今の若い世代から見ると、かなりもどかしいかもしれませんね。

 今回面白かったのは、全く愛のない政略結婚から始まり、父である道三を失った濃姫に、「おまえはわしの妻じゃ」と役割を与えたのは信長だったし、天下統一という、父と自分の夢を果たすために、信長にいろいろな知恵を授けたのは濃姫だったということですね。男の夢を女が支えるというパターンが戦国時代ではオーソドックスかと思いますが、今回は、女の夢を男が実現していくという構図になっている。そして夢を共有していく中で、2人が理解し合い、愛を発見し、その愛が成長し、成熟し、最後に同じビジョンを見つけるという、実はとてもオーソドックスなラブストーリーになっていると思います。

-“新しい時代劇”ということについて、どう考えていますか。

 新しい時代劇の定義を問われ、即答するのは難しいですね。一言だけ言えるのは、様式を守るということのみに意識を向けると、大事なことを見失ってしまう可能性があるということです。そればかりに気を取られると、時代劇と呼ばれるジャンルがどんどん狭くなってしまう気がします。京都撮影所で作られた過去の作品を、今回クランクイン前にずいぶんたくさん見たのですが、それらの中には、今見ても斬新な面白い表現や発明がたくさんあります。当時の方々が、必死で様式や前例と戦って生まれたものが、そこにはたくさん息づいている。時には制約を守りながら、時には確信犯的に破りながら、自分たちがやりたいことをしっかりやる。軽やかに過去を乗り越えていく、そういう意識が必要であるように思いますね。

 また、これからの映画やドラマは、時代劇に限らず、LEDスタジオで、バーチャル・イン・システムのカメラを使って、グリーンバックを背景にして効率よく撮っていくという、バーチャルな作りに大勢が向かうと思います。そうすれば、どこかに大人数でロケに行って撮影をする必要もないし、天気に左右されたりもしませんからね。でも、今回の僕らのアプローチは、それとは全く逆です。信長という400年前の人物を、令和の時代に生きる僕らがちゃんと捉えるためには、あの時代から存在する建築物や場所の力を借りなければなりません。私たちと過去の先人たちとの間にある溝の橋渡しをしてくれるのは、あの時代から残っている物であるという発想です。歴史を感じる場所にみんなで足を運んで、役者やスタッフが、その時代の空気を感じながら撮影をする。今回は、そうしたオーソドックスな作り方をしました。そういう作り方が、まだ有効だということを確認してみたかったというのもあります。それは、ある意味信仰に近いのかもしれませんが…。

-最後に、映画の見どころと、観客に向けて一言お願いします。

 まずは、信長と濃姫を全身全霊で演じる、木村さんと綾瀬さんによる丁々発止のパフォーマンスが見どころですね。また、今の時代とは全く価値観の違う戦国絵巻を、映画館の大画面で臨場感たっぷりに見ていただくということを意識して作りました。僕がいい映画を見て思うのは、「眼福=目の幸せを満たしてくれる」ということです。役者の芝居、それを彩る美術、国宝級の場所でのロケーションやゴージャスな衣装、それらを余すことなく捉えるカメラワーク、自分を取り囲むように感じられるダイナミックな音響や音などなど。コロナ禍での緊急事態宣言で、前作の「るろうに剣心最終章」が大都市で上映できないという環境に追い込まれた悔しさもあって、今回は、よりそうしたことにこだわって作っています。まるで戦国時代に自分が迷い込んだように、信長と濃姫の体験を大画面で追体験できるような臨場感が、時間を忘れて夢中になっていただけるように精魂込めて作ったつもりです。ぜひ楽しんでいただけたらと思います。

(取材・文・写真/田中雄二)