12期生 田中馨さん

「教科書のない授業」ってどんな内容!?

――どんな学園生活だったのでしょうか。

K「僕は、授業を休んで寮の先輩に連れられて裏の山に探検とかに行ってました。(笑) ゴルフ場に忍び込んで大人たちに追いかけられたり…」

――え、進級は大丈夫だったんですか?

K「できましたね…」

N「私の次の代からすごく厳しくなったと聞いていますが、当時は、出席日数と自己評価の通知表で進級できたんです」

――自己評価の通知表とは?! まず、科目は普通の学校と同じものがあるんですか? 国語とか、数学とか・・。

N「はい、それは一応、あります(笑) それぞれの科目について、自分で振り返って評価をするんです」

――それだと評価が甘くなったりしないのでしょうか?

N「それがけっこうみんな正直に書いていて、“今学期はあまりがんばれなかったので来学期はがんばりたい”と書いたり。あと、“もっとこういう授業をした方がいい”とか意見する子もいて」

――へえー。先生と生徒が対等な感じですね。

N「生徒の質問がきっかけになって、よく授業は脱線していましたね。誰かが質問したら、先生が、じゃあ来週はそのことについてやろうか、なんて言ったりして」

――すごく“自由”な、融通のきく授業ですね!(笑) カリキュラムみたいなものはあるんでしょうか。

K「一応、あったのかもしれません。たぶん国とか教育委員会から、“この部分は教えなくてはいけない”みたいな指導はあったと思うんですが、先生も“これが終わったら、アレ、やろうぜ”みたいな感じで」

――“一応”ばっかりですね(笑)

N「教科書も配布されますが、先生がその時の授業内容に合わせたプリントが中心の授業でしたね」

――そっちの方が大変ですよね! すごいなあ。

中学からの寮生活はおすすめ

――馨さんは中学から寮に入られたということですが、親にとって、中学から子どもを寮に入れる選択というのは、なかなか容易なことではない気がするのですが…。

K「そうですよね。でも、中学から寮に入ること、個人的にはすごくおすすめです。いろいろ公にできないようなことをされたり、したりはあるのですが(笑)」

――中学の頃というとちょうど思春期なので、同居していたら親とぶつかりやすい時期ですよね。寮だと、それが回避できる点はいいと感じます。でも、親に反抗しないとなると、誰に反抗していたんでしょうか? 先生?

K「うーん…」

――たとえば、寮で朝起きないで寝ていたら、先生が起こしに来るとか、寮母さんが“起きなさーい!”と怒る、なんてこともなかったですか?

K「言ってくれてはいたけど、強制ではなかったですね。朝ごはんも食べない事の方が多かったです」

――それじゃあ反抗しようにも、反抗したいと思わないですよね、押さえつけられていないわけですから。

K「そうですね。そう考えると、反抗期ってなかったですね。

中学の三年間は、人間関係の勉強をした感じです。親に対しても、ぶつかることは、ほとんどなかったです。それは、中学からの寮に入れられたおかげだと思っています。

ただ、親と暮らした年数は、中学に入るまでの12年間だけなので、深い話を親とすることってあまりなかったんですよね。それが30歳を過ぎてから、もっと親のことを知りたいっていう想いが出てきたんです。

なので、寮に入ることで不足していた親と過ごす時間は、今になって補えている気がします」

――強制や義務がかぎりなく少ない環境では、ストレスもないということでしょうか。もちろん、思春期なりに自我に目覚めて、自分にいらだつ、ということはあったと思いますが、その矛先が他人に向かなかったんですね。

N「いじめって言葉、当時はなかったよね」

K「そうだね、なかったかもしれない。…まあでも、当時はとんでもないところに来てしまったな、と思うようなこともありましたよ」

――たとえば?

K「パンツ一丁で寒空の下、締め出されたとか(笑) それでも、あとあとなんとかうまく折り合いがつくんですよね」

N「ケンカとかでも、仲裁に入る子がいたりしてね」

K「基本的に中学1年から3年までの寮生4、50人でつくった社会なので、責任が自分らにあることがわかってるんですよね」

N「よく生徒同士で話し合いをさせられるんですよ、寮だとミーティングはしょっちゅうでしたね、先生抜きで」

――たしかに、子どものケンカに大人が入ると面倒になることはありますね。