もちろん、四尺玉を上げられる花火師探しにも大いに苦戦した。

「片貝の花火師さんにも打診しましたが、あそこは街を上げての四尺だから片貝から出せない、門外不出だと言われ、その後も名だたる花火屋さんを回りましたが、どこも「うん」と言ってくれない。最終的に引き受けてくれた今の花火屋さんも、最初の2年くらいは社長が「ノー」と言っていたけど、なんとか承諾してくれて、その後、すぐに製造許可を県に申請したんです」。

とはいえ、花火の玉は、発注してから1年はかかる。

「2012年は間に合わないから、その年は翌年に向けた布石の年としました。ただ、現状維持は嫌なので、『鳳凰乱舞』というメインプログラムをボリュームアップしました」。

この『鳳凰乱舞』は、記念すべき第10回の2011年に上げた、正三尺玉2発、尺玉300発を連打するというド迫力のスターマインだ。

「尺玉の300連発ってなかなかないので、一気に知名度が上がりました。インパクトではどこにも負けません!」とのこと。

2012年はこれに正二尺玉2発を上乗せし、尺玉以上の花火の1分間当たりの打ち上げ数が日本一となった。今年は満を持して、世界一の四尺玉にトライする。

「ようやくたどり着けました」と、胸をなで下ろす細川氏だが、これまでに折れそうになったことは何度もあると本音も漏らす。

「メンバーとはよくケンカをしますが、最後は一緒にやって良かったねと終わるんです。いわば手作りで、みんな金をもらってやっているわけじゃない。手弁当で、杭を1本ずつ打つところから始めたし、重機などもほとんどが持ち寄りです。役所がやれば外注となり、予算の半分が設営費で消えてしまう。

でも、我々は設営費2~3割に抑え、残りを玉代に充ててきた。俺たちが頑張っていれば、地元の企業さんも『もうちょっと出してやる』と協力してくれ、年々玉数を増やしていくという、良い循環で回せてきました」。

青年部の若者たちの情熱は、老若男女、いろんな人々の心を動かしていった。花火大会の準備やゴミ拾い、ブルーシート作成などのボランティアに、大勢が参加するようになっていく。

「先生方が『花火は、きれいな表面だけを見るのだけではなく、裏側で大変な思いをしていることを見せるのも、社会勉強になる』と、共感してくださり、年々子供たちの参加者が増えていきました。

それを見て、地元の団体さんや協賛の企業さんたちまで、手伝ってくださるようになり、最近では500人くらい、来ていただいています」。