SNH48移籍の決意から劇場デビューまで、1年余りを振り返って

――そうやってそれぞれが、それぞれの想いを持ってこの1年余りを過ごしてきました。我々「ウレぴあ総研」も佐江ちゃんの移籍発表後すぐ「ミラチャイ」企画を立ち上げて、初回の取材が昨年末。そして連載は、立ち上げから半年後の3月1日にスタートしました。

この間「ミラチャイ」を読み返してみたんですけど、写真とかを見ながら、もうそんなに経つんだなぁって……(-_- )シミジミ

――佐江ちゃんが中国への挑戦を決めた頃からずっと、その時々、さまざまな想いをお伺いしてきた「ミラチャイ」ですが、劇場デビューが決まった今だからこそ、お聞かせください! これまで必死に耐えてこられたこともあったと思いますが、一番大変だったのはいつ頃でしたか。また、最も辛かったことは何だったでしょうか。

ううーーーーーーーーーーーーーーーん、あり過ぎるかもしれない(笑)

本当に、たくさんあります。でもそのなかでも2月頃がすごい、キツかった。あと4月にAKB48グループの武道館公演で、AKB48との兼任を聞かされた時が、ほんと辛かったですね。

――まずは2月頃、ですか?

1月に上海のステージにゲスト出演して、帰って来てから日本での仕事がほとんどなかったんですよね。しかも1月のSNH48お披露目公演の出来も良くなくて、モヤモヤして帰国してきたところでしたから。

ちょっとずつ、中国というものに興味が薄くなりつつある自分がいたり、すごく仲の良かった友だち、例えば、AKB48のメンバーだったり、プライベートの友人だったりするんですけど、春に向けて仕事や昇進が決まったり、4月のドラマが決まったり。そういう話がポンポンポンポン、年度初めを前に仕方がないのかもしれないけど、たまたま重なっちゃったもんだから……大切な人たちの活躍を聞いてすごく喜んでいるんだけど、かたや自分は何もできていないから、みんなといるのが辛くて。感情の波が激しくて、もがき過ぎていましたね。

じゃあ中国語を頑張れよ!って、尻を叩く自分もいるにはいたんだけど、でも動けなかった自分もいて……すっごい、、、しんどかった。

――その状況で、モチベーションを保てというほうが無茶な話ですよね……

いやもう、あの時は中国なんて一生無理なんだろうなって思っちゃったから。さらに畳み掛けるよう、良くないニュースもたくさん入ってきて。どんどん「行けないじゃん、行けないじゃん、行けないじゃん、もうどうしようー!」みたいな感じで……

自分から発信できるものが、何もなかったから。だから2月は辛すぎて、記憶すらあんまり残っていないくらいなんです。

――そのどん底ともいうべき2月を、どうやって切り抜けたのでしょう?

家にいた覚えしかないかなぁ、家族と過ごしたりとか。

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