その前の月のリクアワ(※)のおかげも、すっごーく、すっごーくありました。リクアワで2位とかになれて幸せだったのになぁーって、ハァってため息ばっかりついていたんですけど。でもそうやって、すがるものすらなかったら……考えただけで、怖いくらいです。

(※「AKB48リクエストアワー セットリストベスト100 2013」:1/24~27、TOKYO DOME CITY HALLで開催されたAKB48真冬の恒例イベント。佐江ちゃんのユニット曲「奇跡は間に合わない」がAKB48グループ全536曲からファン投票で堂々の第2位を獲得!)

今も2位になったあの時、ほっぺに付けていたスワロフスキーの「2」は、メイク用の手鏡に貼って持ち歩いています。あの“支え”がなかったら……と思うと、ファンの皆さんには、頭が上がらないです? アレ、下がらないです? どっちでしたっけ?(笑)

――上がらないです、が正解です。下がらないんじゃ、困ります(笑)

(笑)

1月のリクアワがなかったらあの2月、佐江は……ダメになっていたかもしれません。

――そして4月末、SNH48としての展開がほぼないまま、AKB48との兼任が決まります。先ほども辛かったとおっしゃっておられましたが、それは兼任になるのが嫌だったということですか。

はい。うれしくなかったですね。

――こんなことを言ったらナンですが、兼任できれば活動の幅も量も拡がりますよね。

それは、すごく考えました。ファンの方たちとは元々ずっと交流を持ちたいって思っていたので、兼任になったらみんなにも会えるし、大好きな劇場公演もできるし、AKB48としての活動も増える分、日本でメディアにも出させてもらえるというのもありました。

だから秋元先生も、私のためを思って兼任にしてくださったんだっていうのは分かったんですけど、正直喜べない自分がずっといて……。武道館で発表された時に、何とも言えない、ほんとにどうすればいいんだろうみたいなヒドい顔をしてしまったんだと思います。

喜べない、でも喜ぶことが間違っているのかいないのかすら分からないというか。ここで喜んじゃううれしい気持ちもあるんだけど、喜んだら何で喜んでいるんだろうって、あの覚悟は一体何だったんだろうって思っちゃう自分もいるだろうし。5月はまた悩みに悩んで……それが結果的に、6月初めの総選挙でSNH48への専任に戻ることにつながったんじゃないかな、と。

SNH48への専任をああいうカタチで宣言したことについては、賛否両論でしたけど。あれを言ったことに対しては、後悔はしていません。

――言い切りましたね。

バックナンバー