日本の家族を描いた映画がなぜスピルバーグの琴線に触れたのか?

2013.10.7 15:31配信
『そして父になる』(C)2013『そして父になる』製作委員会

映画の全国公開初日に「スピルバーグのドリームワークスによるリメイク決定」の大きなニュースが飛び込んできた。『そして父になる』が公式上映された今年のカンヌ映画祭で審査員賞を授与した審査委員長がスピルバーグだったのだから、当然の組み合わせだ。同じく審査員を務めたニコール・キッドマンも号泣し、監督の作品に出演したいとラブコールを送っている。また、スペインのサン・セバスチャン映画祭で観客賞を受賞したとの朗報もあった。なぜ、日本の家族を描いたこの映画が世界で受け入れられたのだろうか?

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産院における子供取り違え事件が発覚し、6歳になる息子を交換することになったふたつの家族、一流企業に勤め、都内の高層マンションに暮らす野々宮家と、地方都市で小さな電気店を営む斎木家。だが、映画は子供取り違え事件の判決を追う法廷サスペンスでもなければ、物質の豊かさと心の豊かさを比較する社会風刺でもない。エリート人生を歩んできた野々村良多(福山雅治)がぶつかる壁は、血のつながりを取るか、共に暮してきた6年間の重みか、というものだ。更に言うと、良多の苦渋の選択は物語の始まりでしかない。

おそらく、子供がいる観客は「もし自分だったら」と考えながら映画のストーリーを追い、子供がいない観客も良多たちの選択をドキドキしながら見守っていたことだろう。ところが、クライマックスのあるシーンでは、全ての観客に共通することが想起させられ、はっとする。人は誰もがかつては子供だった。目の前にいる頼れる人を追い、見つめていた日々がある。それが血のつながった親だろうが愛情を与えてくれる他人だろうが、かけがえのない人には違いなかったはずだ。

スピルバーグや海外の観客は、エキゾチックな日本映画だから評価したのではないだろう。この映画は、大人になりすっかり忘れていた、子供の頃の自分が親を見つめていた視線を思い起こさせてくれる。それを饒舌なセリフではなく、映画的なアプローチで叙情的に描いた。不可抗力の涙がはらはらと流れ、心の奥にある柔らかい部分に触れられたような気になる。そんな体験ができる映画、世界が注目しない訳はない。

『そして父になる』
公開中

文:平井伊都子

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