【良く言えば】
この夫は、もともとは浮気をする前からこのような性格で、言ってみれば根っからの「放任主義」なタイプでした。ですので最初は純粋に妻を喜んで送り出していたのです。そこにあるのは相手への信頼でした。

このタイプは当たり前ですが浮気さえしなければ、縛られることなく自由に行動できるので非常に重宝しますが、そこに甘えすぎてしまうと思わぬ落とし穴が待っていることが多い、とも言えるでしょう。

【悪く言えば】
相手の行動をいちいち気にせず、好きなように自由にさせる。そんな放任主義の裏返しにある心理としては、「相手への関心が薄い」というセンセーショナルな事実が隠されている場合があります。関心が薄いか、もしくは他に関心があるか。どちらにせよ、楽観できない事態です。

このケースの場合、まるで友達と会うことを応援するかのように送り出してくれたので、まさか自分に無関心だとは思いもよりませんでした。いずれにせよ、たとえ言い方に愛想があろうとなかろうと、「どこへでも行ってらっしゃい」という言葉の裏には「相手への無関心」が隠されている場合がある、ということをお忘れなく。

 

解決策

この場合、妻側に「二人はわかり合っている、通じ合っている」という「過信」があったため、思わず足下をすくわれてしまう形となってしまいました。

夫に信頼されている、と思い込んではいたものの、普段お互いの心を通わせていたか振り返ってみると、日々の中で夫婦間の「対話」は特になされていませんでした。

このように、あまりにも放任、あまりにも無関心だなと感じた時には、もしかして二人の間に見えない距離が生まれていないか、疑ってみる必要があります。そして自分も相手にしっかりと関心を寄せ、愛情を注ぎ、「対話」をするようにして、健全な関係を保てるように努力してみましょう。

完全放任は一見自由でいいように言えますが、やはり多少のやきもちを焼かれたり心配されるくらいがちょうどいいのかもしれません。



いかがでしたか。
人と人、心と心の距離感は近すぎても遠すぎてもうまくいかないもの。
お互いに心地いい関係性を築けるように、うまくやっていきたいものですね。

1974年生まれ、東京在住。前職は大手ネットショッピングモールのPR担当。2009年より「ライフハッカー」にて恋愛記事の執筆を開始。現在は「金メダル級のダメ男とばかりご縁がある切ない人生を送ってきた、虫の息の恋愛コラムライター」として活動中。また、別ジャンルで「ヨリエ・スディラジェンコフ」名での執筆活動も行っている。