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 大会社で人事部長を務める神崎昭夫は、職場では常に神経をすり減らし、私生活では妻との離婚問題や大学生の娘(永野芽郁)との関係に頭を抱える日々を送っていた。そんなある日、母・福江が暮らす向島の実家を久々に訪れた昭夫は、母の福江(吉永小百合)の様子が変化していることに気付く。

 山田洋次監督が劇作家・永井愛の同名戯曲を映画化した、東京の下町に生きる家族が織りなす人間模様を描いた人情劇『こんにちは、母さん』が、9月1日から全国公開される。本作で主人公の昭夫を演じた大泉洋に、山田監督の演出や映画についての思いを聞いた。

-山田組には今回が初参加でしたが、大泉さんはもともと寅さんの物まねをしていたと聞きました。そんな憧れの山田洋次監督の演出で特に印象に残ったことを聞かせてください。

 今回は、実家の下町の足袋屋さんがセットだったんですが、セットに入った瞬間に、寅さんみたいだと思って興奮しましたね。あとは、監督のつける演出というのが実に細かい。だけど、それは決してやりにくいというわけではない。監督の映画の面白い部分というのは、監督が細やかに演出をして生まれてくる笑いなんだというのを再認識しました。現場で、監督が「じゃあ、こう言ってくれる?」と、台本とは違うせりふが出てくることもあったんですが、それが非常に面白い。現場で生まれる監督のアイデアでどんどん面白くなっていくんだと思いました。

 監督の演出で面白かったのは、(同僚役の)宮藤(官九郎)さんとも「すごいよね」って言ったんですけど、宮藤さんが居酒屋でトイレに入ろうとするシーンがあって、「春のうららの~」って歌いながら行ってドアを開けると、そこに人が入っている。それで「ノックぐらいしろ」って怒られる。これが全部台本にはなくてその場で足されたもの。

 それで、普通はドアを開けた瞬間に、「わあ、すいません」って閉めますよね。だから宮藤さんもそういうお芝居をしたら、監督が「そうじゃない。トイレに入っている人を目にしても、そのまま『隅田川~』って歌うんだ」って(笑)。これは本来ならおかしい。普通なら開けた瞬間に「わあっ」ってなるじゃないですか。でも監督は「入っている人を見ながら『隅田川~』って歌うんだ。それがコメディーなんだ」って。

 宮藤さんが「とても勉強になった」っておっしゃっていましたが、僕も、そう言われてみれば、寅さんとかでそういうものを見てきた気もする。僕たちはそういうものを見て育ったのかもしれないなと思いました。

 もう一つ、僕が実家で一人で飯を食っていると、(娘役の永野)芽郁ちゃんと(母親役の吉永)小百合さんが帰ってきて、泥棒じゃないかと思って「泥棒」って言うんだけど、そのときは確実に僕を見ていて、もうお父さんだって分かっているんです。でも監督は「分かっていてもいいんだ。分かっていても『泥棒』って言うんだよ。人間、そんなに単純なもんじゃないんだ」って。それが何かとても面白いんです。

-その場で生まれた笑いやアイデアを取り込んでいくから、生き生きとした笑いが生まれるという…。

 そうですね。監督には確固たる自信もあって、「山田洋次流のコメディーというのは、こういうもんだよ」というのが、とても面白かったし、僕もその方が面白いなと思うんです。それを見事にやってのけちゃう。さすがだなと思いました。

-吉永小百合さんと親子役で共演してみて感じたことを。

 僕がこの映画に決まったときに、「吉永小百合から大泉洋は生まれないと思う」とコメントしたんですけど、今日の舞台あいさつにしても、「吉永小百合から俺が生まれるのも不思議だけれど、俺から永野芽郁が生まれ出てくるというのも、どうもおかしいな」と思いながら見ていたわけです(笑)。だから、やっぱりそこは役者の皆さんの力なのかなと。小百合さんと現場でお会いしたときには、何の違和感もなく、お母さんに見えました。

 一番最初に「母さん」って話し掛けるんですけど、監督は非常に細かく演出をつけるんです。「最初『母さん』って言っても、向こうは分からない。それで、客だと思って対応するんだけど、それに対して、ちょっといらっとしたりする。『俺だよ。何で分かんないんだよ』と」みたいなところまで、非常に細かく演出される。だからすごくリアルになるし、「なるほど、そっちで行くんですね」というのがとても面白かったです。

-「吉永小百合から大泉洋は生まれない」というコメントですが、映画を見ると、ちゃんと親子に見えました。そこが山田監督のすごさなのかなという気もしたのですが、親子を演じるに当たって、監督から細かい指示はありましたか。

 「母さん」の言い方一つにも細かい指示があるくらいですから、もう全てに対して細かい演出があって、そこに母親に対する思いが出ていたりもする。監督ご自身の、母親とのエピソードみたいなものも話してくださったんです。それがまた、なるほどと思えるもので、監督の中ではそういうこともあったんだなって。そういうお話を聞いて、昭夫にフィードバックする部分も多かったし、とても有意義でした。

 意外だったのは、原作の舞台劇では息子は母親に対してもっと激しく抵抗するんです。「何やってんだよ、いい年して恋なんてするなよ」って。だけどこの映画の中では、そこまで激しくないんです。そこには監督の、自分の母親への思いみたいなものがあったんじゃないかなって気がします。だから母親に対する複雑な思いみたいなものも、何となく感じながら演じていました。

-大泉さんも宮藤官九郎さんもたくさんのコメディーをやっています。今回山田監督から演出を受けて、感化されたり、改めてすごいと思ったことはありましたか。

 その連続でした。特に情感をあふれさせながら面白くするというところに、『男はつらいよ』とかの世界観を見た気がして、うれしかったです。今回の僕の役は、面白いせりふがあるわけではなくて、追い込まれていく立場みたいなものがおかしかったりするんですけど、監督の作る笑いというのが、僕はすごく好きでした。ある人が、すごく怒っているんだけど、同時にそこに人間のおかしみとか滑稽さが出てくるみたいなところが。

 例えば、台本では、宮藤さんの「会社をクビになる」というせりふを、監督が現場で突然「クビを会社になる」に変えてくれと(笑)。これは監督の世界観にしかない面白さです。

 監督が脚本を書いて僕が出演した「あにいもうと」(18)でも、自分の妹を妊娠させた相手を河原で怒鳴りつけて「二度と顔見せんな」って追い払うんだけど、その後に、そいつに帰り道を教えるんですよ。「その大通りを曲がって右に出たら、そこを通って帰れ」みたいに(笑)。その感じがたまらなく面白いんです。

 そういうのは、今の笑いじゃないのかもしれないけど、それが逆に新鮮だったし、やっぱりそういう笑いはいいなと改めて思うようなところが多かったです。何て面白いことを思いつくんだろうという感じです。監督の発想は、結構ぶっ飛んでいるんです。「怒ってんのに、そんなこと言います?」みたいな。だから怒るシーンが面白いですよね。

-大泉さんは北海道の出身ですが、東京の下町を舞台にした映画やドラマを、どんな思いで見たり、演じたりしていますか。

 札幌がどれくらい東京の下町と似ていたのかは分からないけれど、僕は子どもの頃から人情味のあるものを好んで見ていた節はあるんです。だから、山田監督の描く世界観や語り口というものは、自分の中に、子どもの頃からの原体験として入っているんだと思います。子どもの頃から、寅さんのまねをしていたぐらいですから。僕は東京の落語も聴くので、監督の書くせりふには非常になじみがある。子どもの頃に母が見ていた、藤山寛美さんの松竹新喜劇。それも面白がって見ていました。僕が自分で作るものにも、確実にそういうテイストが入っているんです。僕も非常に家族の話が好きなものだから、昔から監督の作る世界観や下町の人情感みたいなものは、僕の中に自然にあったような気がします。なので、そういうものへの憧れもあるかもしれないです。

(取材・文・写真/田中雄二)