「どうする家康」(C)NHK

「世は、変わったのでござる」

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「どうする家康」。10月1日放送の第37回「さらば三河家臣団」で、主人公・徳川家康(松本潤)が語った言葉だ。

 この回、北条攻めを決断した豊臣秀吉(ムロツヨシ)は、家康と共に北条の本拠地・小田原城を包囲する。これに籠城で抵抗した北条氏政(駿河太郎)、氏直(西山潤)親子だったが、圧倒的戦力差に加え、一夜城などの知略に屈して、ついに降伏。そして家康は小田原城内で氏政と対面する。

「なぜもっと早く降伏しなかったのか」と問う家康に、氏政は悔しさをにじませながら、「われらはただ、関東の隅で侵さず、侵されず、われらの民と、豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ。なぜそれが許されんのかのう!」と答える。それに対して家康が語ったのが、冒頭の言葉だ。時代の変化についていけなかったことが、氏政の敗因だったと家康は受け止めたようにも聞こえる。

 だがこの回、時代の変化に直面したのは、氏政だけではない。家康自身も秀吉から“国替え”を命じられ、これまで治めていた三河や駿河を離れ、北条領だった関東へ移ることとなった。秀吉のこの指示に抵抗を試み、北条攻めの後まで家臣に伝えられずにいるなど、家康自身も時代の変化に直面し、葛藤していた。付け加えるなら、秀吉の国替えの命令に抵抗して改易(所領の没収)させられた織田信雄(浜野謙太)もいる。一連の出来事からは、時代の変化に適応していくことの難しさを痛感させられた。

 その中で家康が、なんとかことをうまく運ぶことができたのは、その苦しい胸中を察した本多正信(松山ケンイチ)のおかげだ。正信は小田原攻めの前に、大久保忠世(小手伸也)にひそかに事情を打ち明け、家臣たちの説得を依頼。これにより、小田原攻めの後、家康が国替えを伝えた際も、混乱なく事態を収めることができた。ひたすら家康に従ってきた他の家臣たちと違い、一向一揆で家康と敵対して追放されるなど、人生の重大局面を乗り越えてきた正信だからこそ、果たすことができた役割といえるだろう。そうした家臣たちに恵まれたことも、家康が戦国を生き延びた秘訣(ひけつ)だったのかもしれない。

 だがその一方で、時代の変化に適応できず、敗れ去った北条氏政が愚かだったとは思わない。時代の流れに逆らって自分の信念に殉ずることも、人生の美学として十分尊重に値する。振り返ってみれば家康自身だって、少し前までは秀吉への臣従をためらっており、一歩間違えば徳川も北条と同じ運命をたどっていたかもしれないのだから。その重大な局面を乗り切れたのも、石川数正(松重豊)の出奔があったからで、やはり家康は家臣に助けられていると言わざるを得ない。

 その家康も、国替えによって、これまで支えてくれた家臣たちと離れ離れになった。江戸に移った家康がこれからどんな道を歩むのか。時代の変化に適応する難しさを考えさせられると同時に、その局面を乗り越えた家康の今後が気になる回でもあった。

(井上健一)