幼児教育のスタートは宣教師から

『日本幼児保育史』(フレーベル館刊)も参考にした。

そこには横浜市の幼稚園の始まりが記されていた。
明治初期、幼児教育普及の立役者となったのはキリスト教宣教師。

宣教師によって開かれた最初の幼稚園は、北陸女学校(金沢・明治17年)と頌栄幼稚園(神戸・明治22年)とされてきた(いずれも私立)。

しかし、これよりも前に幼児教育に取り組んでいたといわれているのが、横浜山手四十八番地に開かれた「亜米利加婦人教授所」である。明治4年、3人の女性宣教師により開かれた、言わずもがな私立の幼稚園である。
 

ピアソンさんの墓

日本最古のプロテスタントキリスト教による学校・横浜共立学園の創立者となったのも彼女たち。

異国の地で幼児教育の発展に情熱を注いだ彼女たち功績は計り知れない。

なお、横浜外国人墓地には、その3人の宣教師のなかのピアソンさんとクロスビーさんの墓がある。

 

取材を終えて

今回の取材は横浜市の幼児教育について管理・運営を行っている市や県から答えが得られないため、永遠に答えが得られないという残念な結果に終わった。

ただ、宣教師たちの尽力で横浜市の幼児教育が発展したというのは、横浜という土地ならではのエピソードであるといえる。

全国でもいち早く幼児教育の必要性を感じ、宣教師たちを中心とした市民レベルでの活動の結果、私立の幼稚園が徐々に増えていった。

だから、わざわざ公立幼稚園を設立する必要がなかったと考えるのは飛躍しすぎだろうか。

 

 

※本記事は2011年11月の「はまれぽ」記事を再掲載したものです。

 
 

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