K-1ワールドグランプリが開催されず、DREAMとIGFの共同興行は地上波放映なし、と格闘技ファンにとってはいささか淋しい年の暮れでしたが、元気ですか!?(アントンの声で)
しかし光明が見えていないわけではない。新日本プロレス公認のDVDマガジン「燃えろ! 新日本プロレス」は順調に刊行されているし、「KAMIPRO」残党による「DROPKICK」は2012年にも引き続き刊行されるし、失踪中だった「KAMIPRO」の元編集長・山口日昇も新雑誌「KAMINOGE」で雑誌に復帰を果たした。少なくともメディアには復興の兆しありである。

 


そこでお薦めしたいのが「Gスピリッツ」だ。休刊した「週刊ゴング」出身者が不定期に刊行しているプロレス専門誌である。特集主義の雑誌で、しかも刊行されるまで何がメインかわからないため、いつも店頭で表紙を見て驚かされる。たとえば前号は七回忌を迎えた橋本真也の特集で、新日本プロレス時代の同僚や元付け人などが集まって故人を偲んだ。

 その前号は90年代の全日本プロレス特集で、四天王プロレスと言われた過酷な戦闘で人気を支えてきた川田利明などが証言者となって時代を振り返ったのである。そう、「Gスピリッツ」の魅力は、絶妙な人選のインタビュー記事にある。それらの語りには、プロレスにあまり関心がなかった人でも思わず身を乗り出してしまうほどの人間的な魅力が溢れているのである。

 今号の特集は「相撲とプロレス」である。そうきたか、という感じでしょう?
巻頭を飾っているのは61歳にして現役を続けている天龍源一郎(元前頭筆頭)だ。表紙を飾っているのも、まわしをつけて髷のままリングに上がっている天龍の写真。二所ヶ関部屋を辞めて全日本プロレスに入団したばかりの頃だろう。
実は天龍のプロレスには秘話があった。現役力士だった天龍にプロレス転向を勧めたのは、「東京タイムズ」や「スポーツタイムズ」の記者として活躍し、草創期の全日本プロレスのブレインも務めていた森岡理右(現・筑波大学名誉教授)だったのである。当時の天龍は、二所ヶ関部屋から押尾川親方が独立しようとして失敗するという騒動に巻き込まれ、部屋の中で立場をなくしていた。そこに目をつけ、ジャイアント馬場に話をつないだのだ。その森岡と天龍が対談し、力士時代について回顧している。61歳の天龍の、若々しい言葉を聞いてもらいたい。

天龍 (前略)相撲の審判員で座っている奴らは、今の僕の年齢、61歳になったらもう定年ですよね。でも、プロレスをやったお陰で「俺はしぶとく自分の身体で金を稼いでいるよ」「自分の身体で稼いだ金で家族を食わせている」って。あいつらは協会から貰っているけど、僕は自分で稼いでいる…その意識は強烈に持ってますね。座っている老けたオッサン連中に対して、「ざまあみろ!」って思ってますよ。

 日本にプロレスを定着させた力道山が元関脇の力士だったように、かつて角界出身者はレスラーの一大勢力だった。横綱出身者も4人いる。東富士、輪島、双羽黒、曙の4名だ。そのうち2名が本誌には顔を出している。輪島大士は、同じ日本大学出身、同じ花籠部屋出身の元力士レスラー、石川孝志(元前頭4枚目 大ノ海)と対談をしている。そして4人のうちで唯一の現役レスラーでもある曙太郎は、現役時代に廃業届を出して天龍源一郎の団体WARに入団しようとした過去があることや、K-1転向のいきさつなどを話している。

「(前略)僕が横綱の時代にK-1の人気がガーッと上がったじゃないですか? ちょうどその頃に元お相撲さんがUFCに行ってボコボコにされていましたよね。24~25歳の頃だから“今、俺が行ったら、あいつらを殺す自信がある”という気持ちでした。自分のやっていることがどこまで通用するか、試してみたかったんです。(後略)」
―― IGFの鈴川真一も打たれ強いですからね。
「そうでしょ? でも、あれが打たれ強いなら…僕らは椅子とかバットで殴られてましたからね」

 特有の「かわいがり」や強烈な縦社会の論理、無理へんにゲンコツと書いて「先輩」と読む大相撲の掟がある。それらの洗礼を受けたからプロレスの修行は堪えなかったという力士レスラーは多い。力道山が作り上げたシステムに相撲出身者がなじみやすいのは当然だろう。それゆえにプロレスを舐めてしまい大成しなかった北尾光司(元横綱双羽黒)のような例もあるが、IGFでマーダービンタ(張り手)を武器に活躍し、今年度のプロレス大賞で新人賞を獲得した鈴川真一の如き逸材も角界は輩出している。
この他、日本人最初のプロレスラーにして最初の力士レスラー、ソラキチ・マツダの評伝や、プロレス草莽期の立役者の一人でありながら日本に定着せず、海外を放浪した清美川、大麻所持事件で世間を騒がせた嵐、大日本プロレスの創始者であるグレート小鹿などが誌面を飾っている。ボーナストラックといえるのは元・全日本女子プロレスの西岡充子だ。西岡は、クラッシュギャルズ引退後に女子プロレス界で主役を張った経験のあるプロレスラーだが、引退が早く、全盛期は短かった。1990年に引退し、1996年に当時関脇だった魁皇(現・浅香山親方)と知り合う。99年に結婚してからは一切マスメディアに顔を出すことなく、大関となった魁皇を支える裏方に徹し続けた。その西脇の証言は極めて珍しく、興味を引かれる。

 昭和のプロレスラーには幻想があり、自らを超人として演出することで客を呼んできた歴史がある。今やそうした怪物はいなくなり、アスリート然としたレスラーが多くなった。相撲の世界でも八百長疑惑などの騒動によって屋台骨が揺らぎ、かつてのように相撲最強伝説が囁かれることも少なくなった。しかし巨漢たちの鎖された世界である大相撲には、まだ幾ばくかの幻想が残っているように思われる。スモウ・レスラーたちの談話を読みながら、胸の奥にちくちくする刺激を感じた。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!