『17歳』 (C)MANDARIN CINEMA - MARS FILMS - FRANCE 2. CINEMA - FOZ

冒頭、弟が姉のイザベルをじっと見つめている。弟は思春期の姉が日に日に美しく、女らしくなっていくのに当惑しているかのようだ。『17歳』は、視線の映画である。主人公のイザベルは人から見つめられることによって存在する。否、まるで自分の存在を確かめるかのように、彼女は自ら売春行為に走る。ネットで出会った男とホテルで待ち合わせ、彼らの欲望に満ちた視線に肉体を差し出すことで、彼女のなかの何かが満たされる。決して行為が楽しいわけではない。服従を強要されるような嫌な思いをすることもある。だがなぜかホテルを後にするとまた、新しいランデブーに出向きたくなる。

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男たちと同様、カメラもまたイザベルをじっと見つめ続ける。カメラ=監督の注意深い視線は、イザベルの繊細な表情の変化をひとときも逃すまいとするのだが、それによって彼女のなかにある“何か”がわかるわけではない。彼女がなぜそんな行為をするのか、その本当の理由ははっきりとは示されない。おそらく彼女自身にもわからないのだろう。ただなんとなく、思春期の肉体的、精神的な変化のなかでイザベルが一種のショック療法を必要としている、ということだけが感じとれる。

オゾンは女性のキャラクターに寄り添う映画を撮るのが本当に巧い監督だ。『まぼろし』しかり、『ふたりの5つの分かれ路』しかり。彼は対象を分析したり、結論づけたりすることなく、ただ見つめる。その行為そのものがきわめて映画的であるのは言うまでもない。だがこの監督の卓越した演出のセンスは、底知れないエロティシズムをたたえながらも、それが決して覗き見主義的な猥褻さに陥ることがない。これがヨーロッパ映画的な格調と言えなくもないが、今こうした映画を撮れる監督はそうざらにはいないだろう。

イザベルの変化を季節ごとに、フランソワーズ・アルディの歌を伴って描くというアプローチは、『ふたりの5つの分かれ路』とも似て、この監督ならでは。本作で初めて主演を務めたイザベル役のマリーヌ・ヴァクトは、かつてイザベル・アジャーニやエマニュエル・べアールがデビューしたときのようなセンセーションをフランスで巻き起こした。

『17歳』
公開中

文:佐藤久理子