松山ケンイチ

大河ドラマ「平清盛」に初舞台「遠い夏のゴッホ」とここ数年、新たな挑戦に身を投じてきた松山ケンイチが、自ら「ホームグラウンド」と語る映画の世界に帰ってきた。久々の主演映画にして、福島でいまを生きる人々の姿を描いた『家路』だ。

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舞台は震災後の福島。松山演じる次郎はかつて故郷を去り東京で暮らしていたが、震災後、立ち入り禁止区域となった我が家へ人知れず戻り、米を作りながら生活を始める。やがて、それは震災後に田畑から引き離され、仮設住宅で暮らす兄の総一の知るところとなるが…。

“カメレオン俳優”と称されることの多い松山。漫画原作の『デスノート』シリーズの“L”に代表されるような役柄になりきる姿がそう称される所以だろうが、本作で見せているのは“変身”というよりも、福島という土地に溶け込む姿である。行政の命令を無視して立ち入り禁止区域に入り込むような強い個性の持ち主にもかかわらず、次郎は不思議と違和感なく映画の中に静かに存在している。「確かに漫画原作の作品とは感覚が違いますね。どちらかというと表現を抑えていく演技を要求されることが多かったです」。

松山が参考にしたというのが、これまでドキュメンタリー畑で多くの作品を手がけてきた久保田直監督の話すエピソードだった。「監督が話してくれたのがゲイの黒人男性が家族にカミングアウトしたときの話。すごい緊張感の中で、どんな深刻な顔で告白するかと思ったら、笑いながら伝えたそうで、監督も『こういう顔するのか!』と発見があったと。それを聞いて、自分のこれまでの感覚に囚われずに次郎を広い感覚で演じようって思いました。具体的には、最初の脚本のイメージより明るく、笑顔が多くなりましたね。それは僕にとっても面白い発見でした」。

もうひとつ、演技のみならず松山の生き方にまで強い影響を与えたのが農業指導に当たった秋元美誉さんとの出会い。「秋元さんに常に言われたのが『土にも水にも愛情をかけてやってくれ』ということ。水のかき混ぜ方ひとつでも『愛情がこもってないよ』と言われましたね。実際、秋元さんの作る食べ物は全然、味が違うんです。口に入るものだけでなく全てに愛情をかけるというのは、生き方に対しても言えることで、大事なことを教わりました」とうなずく。

大河ドラマという誰もが出来るわけではない挑戦を経て、松山が強く抱いたのは「己に克つ」という思い。「外の声ではなく、自分の声を大切にするということ。もちろん、外には大切な仲間がたくさんいるんだけど、やはり自分を支えるのは自分の信念。それは次郎にも言えることで、彼にもそういう武器を持たせたいと思った。具体的に彼の場合、それは“笑顔”でした。愛する故郷の土地に帰ってくる。そのときに彼には印象的な前向きな笑顔でいてほしかったんです」。ドキュメンタリー監督が綴るフィクションの中に松山は未来への確かな希望を込めたのだ。

本作は、第64回ベルリン国際映画祭正式出品となっている。

『家路』
公開中

取材・文・写真:黒豆直樹