昔付き合っていた彼が言っていました。「自分は、別れたあとも友達としてその子と付き合いを続ける」。「へーえ」と答えましたが「そんなことあるの?」と疑問に思ったものです。「ハイ今日でお別れです。だから明日からは友人でよろしく~」と、そんなカンタンには行かないですよね。

なので「それはないと思う」と、反論しました。「嫌いになって別れたんじゃないなら友人もアリでしょ?」「嫌いになったわけじゃないのに別れるってよくわからない」「……」「別れなければいいじゃない。その後も本当に友人として会うの?そんなのないよね。調子イイと思う。悪く思われたくないのかな?」心の底から不思議だったのでそう聞きました。
「……」どうやらビンゴだった模様。

彼の言い方は「別れても困ったことがあったら連絡してほしい。力になりたい」とのことでしたが。
とてもすばらしい意見です。しかしこれは彼の理想であって、実際のところはどうかわかりません。彼は不服そうに言いました。「前の彼女も力になったんだよね」と。

元彼女との別れの理由は忘れましたが、彼のその「力になる」は純粋な気持ちではなく「思惑」や「利害関係」だったのでは。彼女の立場なら普通であれば別れた人に悪くて力になってとは頼めないし、連絡も気が引ける。もしかしたら連絡をしても返事が来ないかも。
彼の新しい生活を乱したりできない……そう考えるのが普通ですし、言われたほうも新しい恋がある。そう思いましたので、コレは変だな、と。

 

思惑と利害関係とは

イヤな言葉ですが、こう考えられます。

・なにかイイことしてもらおうとか(彼女としてじゃダメだけれど、セフレとか・車を持っていたので、送迎してもらおうとか)
・まだつながってたいとか(お互い恋愛感情がまだある)
・元彼女とやりなおす前フリのための言葉
・いい人だと思われたいカッコつけ男(「俺は寛大な男」アピール)

こんな魂胆を“友情”と言われても困りますよね。

男女の友情は生殖機能がなくなったとき、ないときにしか発生しないのではないでしょうか。たとえば子どもの頃の友情や、年老いてからの友情。幼いころは純粋ですし、下心や、損得勘定、性欲もない。そして老いて生殖機能がなくなると気持ちは穏やかになるでしょう。生殖機能があり、性欲があるうちはやはりセックスのことをどちらかが考えてしまう。これは動物行動学的に見ても正しいように思います。

まず、別れたあとに友達になることは難しい。なったとしてもそれは見せかけだけで、内心はくすぶっている気がするのです。ふいに思い出したりしますよね。恋していた時期を。