『ブルージャスミン』

極論するとウディ・アレンの映画はいつだって、主人公は監督兼脚本家であるアレンそのひとである。疑う人はアレン以外が主演した作品を観るといい。早口でグチばかりこぼし、異性に弱いくせに自己愛が強すぎ、流行より古い価値観の方がまだマシだと考える人間ばかり。

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性格付けの話だけではない。『セレブリティ』のケネス・ブラナーも『ミッドナイト・イン・パリ』のオーウェン・ウィルソンもまるでアレンが憑依したような演技を披露していたではないか! アレンが書いた人物をアレンが書いたリズムで演じると作者本人に近づかざるを得ないのだろう。稀少な例外は、アレンをも超えるダメ人間演技の天才『ギター弾きの恋』のショーン・ペンくらいか。

ところが『ブルージャスミン』の主人公ジャスミンは、アレンならではの筋金入りのダメ人間にも関わらず、アレン映画をまったく新しい局面に連れていってしまった!

自分をセレブだと思いたい下町育ちの女。念願の玉の輿に乗ったのに思わぬ転落をして、ウソと妄想を武器にもう一度セレブという看板を手に入れようと画策する。アレン流のブラックユーモアが満載の、超鼻持ちならないセレブ志願者である。

信じがたいことに、ケイト・ブランシェットはほとんど生物学的ともいえるアプローチで、まったくアレンの影を感じさせずにジャスミンを実体化してみせた。言い換えると、母の胎内から産み落とされてからずっと生き続けてきたような実在感。コメディにも関わらず笑いづらいのも、彼女があまりにもナマの姿を晒しまくっているからに違いない。

ブランシェットの些細な表情を見逃さないで欲しい。口から出るのは身勝手なウソと妄想でも、目から、顔の筋肉の緊張から、自分への不信感と、それを払拭したいがための葛藤とがありありと見て取れるのだ。

セリフを完璧に言ってのけるのが名女優ではない。練り上げられたセリフから不完全さを引き出すのが名女優であり、ブランシェットはその点において完璧だ。ゆえにジャスミンはアレンの思惑すらも凌駕している。この2人の組み合わせに期待したひと、想像以上の成果が待っているとお伝えしておきましょう。

『ブルージャスミン』
公開中

文:村山 章

Photograph by Jessica Miglio (C)2013 Gravier Productions, Inc. Photograph by Merrick Morton (C) 2013 Gravier Productions, Inc.