選手たちは口を揃える、「国立の芝生は最高に走りやすい」

立川理道  ©JRFU, Photo by RJP H.Nagaoka

現日本代表選手でも、リーチ マイケル(東芝/東海大学)、五郎丸(ヤマハ発動機/早稲田大学)、立川理道(クボタ/天理大学)、田村優(NEC/明治大学)、中村亮土(サントリー/帝京大学)、藤田慶和(早稲田大学)、福岡堅樹(筑波大学)らが国立競技場の芝生の上を駆け抜けた。誰もが口をそろえて「国立の芝生は最高に走りやすい」と証言する。

五郎丸は、特筆すべき勝率だ。2004年の早明戦で国立競技場デビュー以降、大学時代に11戦し、負けたのは一度きりである(※2007年1月13日、全国大学選手権決勝。対関東学院大学 26-33)。

国立競技場での日本代表戦は少ないが、1970年代から80年代は盛んに行われた。1975年9月24日、黄金時代を謳歌したウェールズ代表と日本代表が対戦。マービン・デービス、フィル・ベネットらレジェンドに記録的大敗を喫する。しかし、世界のスピードスター、JJウィリアムズのトライを一発のタックルで阻止した石塚が、フィールドになだれ込んできたファンに胴上げされるというエピソードも生まれた。

1984年のフランス代表来日は伝説的名選手であるフィリップ・セラらがプレー。1987年、第1回RWCで優勝したばかりのニュージーランド代表オールブラックスが来日し、11月1日、日本代表と対戦した。

2003年、日本初の全国リーグであるジャパンラグビートップリーグが発足。9月13日の開幕戦では、サントリーと神戸製鋼が対戦し、54-31でサントリーが勝利。トップリーグ史上屈指のトライゲッター小野澤宏時が、華々しく4トライをあげた。 

さまざまな時代に、国立競技場は最高のラグビーをファンに披露してきたわけだ。

 

香港戦の注目点は攻守の切り替えのスピード

リーチ マイケル  ©JRFU, Photo by RJP H.Nagaoka

その最後の舞台に、5月25日(日)、日本代表が立つ。就任3シーズン目となるエディー・ジョーンズヘッドコーチは、ターゲットを「RWC2015での決勝トーナメント進出(ベスト8)」に据えている。素早く組織的に動き続けるプレースタイルを「JAPAN WAY」と名付け、世界に力負けしない肉体改造、ボールをパスで動かし続ける攻撃スタイルの構築などに着手。課題だったスクラム、ラインアウトのセットプレーも劇的に改善された。昨春は強豪ウェールズ代表から歴史的勝利をあげ、11月には世界最強のオールブラックスを迎え撃っている。
今年は4月から本格始動し、新キャプテンにニュージーランド出身のリーチを指名。スピードトレーングの世界的権威を招くなどして、世界トップ8入りへ、次々に手を打っている。

「エディーJAPAN」は、さまざまな専門用語を駆使してプレースタイルを表現するのだが、エディー曰く、「攻撃はグラウンドのどこからでも仕掛け、絶え間なく動き、ディフェンスではリロード(素早く立ち上がり、次のプレーに移ること)から、15人が多くの時間で立ってプレーすることが勝利への近道となる」。

香港戦では、日本代表が長い時間ボールを保持することが予想されるが、その中で常に立って動き続ける事、そして、「攻守の切り替えのスピードアップ」に注目したい。

5月30日(金)の対サモア代表(秩父宮ラグビー場)から始まる4連戦(カナダ代表、アメリカ代表、イタリア代表)は、日本と世界ランキングの近いチームばかり。サモア、イタリアとの対戦は、来年のRWCでの決勝トーナメント進出に向けた試金石となる。だからこそ、香港代表戦は内容が問われるのだ。

A5Nの3試合では、素早いテンポの攻撃には磨きがかかっているものの、ディフェンス面では選手間のコミュニケーションミスで、簡単にトライを奪われている。強豪相手には禁物のミスであり、香港戦ではミスによる失点を極力無くしたい。

個人記録では、ロック(LO)の大野均が出場すれば、代表キャップ81となり、小野澤宏時の歴代最多キャップに並ぶ。フォワードの選手としては歴代1位だ。

キャプテンのリーチは最後の国立への想いを次のように語った。
「日本のラグビー選手、特に大学生はみんな国立競技場を目指しますよね。その場所で最後に行われる公式戦にキャプテンとしてプレーできるのは、すごく嬉しい。思いを込めて、力を出し切りたいです」

その言葉通りの、すっきりした勝利を多くのファンが心待ちにしている。

<チケット情報>
アジア五カ国対抗2014 日本代表vs香港代表
リポビタンDチャレンジカップ2014

1965年、京都府生まれ。京都府立鴨沂高校を経て大阪体育大学へ。現役時代のポジションは、CTB/FB。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。1987年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。1990年6月より1997年2月まで同誌編集長。出版局を経て1998年6月退社し、ラグビージャーナリストとして活動。ラグビーマガジン、ナンバーなどへの寄稿とともに、J SPORTSのラグビー解説も行う。1999年より4大会連続でワールドカップの現地コメンテーターを務めた。著書に、「ラグビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。