『GODZILLA ゴジラ』(C) Legendary Pictures Productions LLC & Warner Bros Entertainment Inc. GODZILLA TM &(

2011年3月11日以降に、ゴジラの映画を撮る。これはとても難しいことだったと思う。ゴジラを単なる怪獣だと捉えることは、そもそもできない。ゴジラは核エネルギーによって生まれた怪獣であり、だからこそ特殊であり、脅威であり、ときには象徴そのものとなって、わたしたちの前に君臨する。ゴジラが有するまがまがしさの根底にあるのは核の恐怖。このまがまがしさを無視することは、ゴジラの否定である。そして、あの日以来、このまがまがしさの取り扱いは非常に困難となった。

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国外の映画人たちが、ゴジラの映画を撮った。日本のことを日本人がいちばんわかっているとはかぎらない。物事は内部で自閉するのではなく、外部から凝視することで判明する真実も必ずある。そして、わたしたちは、映画を通してそのことを学んできたはずだ。

『GODZILLA ゴジラ』は、わたしたちが生きている現在から目をそらさない。日本で起きた原発事故をなかったことにしない。同時に、日本に原爆が二度投下された事実もごまかさない。この映画の国籍は、アメリカ合衆国である。“当事者”としての責任を踏まえている。そして、そのことと、原発事故は決して無関係ではないことも示唆している。潔い、というしかない。これは、監督のギャレス・エドワーズがイギリス人だからできたことだが、アメリカ人たる製作者たちが、この自主映画あがりのハリウッドではノンキャリアの監督のヴィジョンを徹底的に守ったからでもある。

人間たちのドラマは多様に読み解くことが可能である。だが、ただひとつハッキリしていることがある。アメリカと日本は、政治や経済の枠を超えて、人間と人間として、仲良くできるのではないか。そのような提言が含まれていることである。日米関係の困難さはいま、思いもしなかった現実として、まさしくゴジラさながらのまがまがしさで、わたしたちの現前に立ちはだかっている。しかし、それは真の友好関係を育むことで、打破できるのではないか。逆輸入ゴジラは、そんな身体を張った祈りに他ならない。わたしたち日本人は、この祈りをどう受けとめるのか。試されているのは観客である。

『GODZILLA ゴジラ』
公開中

文:相田冬二

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