少し前に、ある政治家による「赤ちゃんはママがいいに決まっている」という発言が物議をかもしました。

たしかに子どもが「ママがいい」と言い出して聞かなくなることって、特に子どもが2、3歳くらいまではありますよね。

あれってなんなのでしょうね。

保育園などでは、別れ際に「ママがいい」が始まって、ママは泣く泣く保育士さんに子どもを預けて走り去るシーンが見られます。

ですが、保育者であり絵本作家の柴田愛子さんの著書『それって、保育の常識ですか?』によると、実は子どもはその後、すぐに泣きやみ、お迎えに来る頃には忘れている子どもがほとんどなのだとか。

子どもに必要なのは「母性的な」庇護であり、愛情であり、愛着です。
「母性的」というのは、別にママでなくてはいけないというわけではありません。父親でも祖母でも祖父でも里親でも保育士でも、いいのです。

ですが、「ママがいい」という言葉の持つ力は絶対で、これによって多くのママが、やっぱり私でないとダメなんだ」と思い込んでしまったり、さらに多くのパパが育児をがんばる気を放棄してしまったりするのでしょう。

ところで世の中には少数派ですが、「ママがいい」があまり出ない家庭もあるようです。「ママがいい」に振り回されないためにも、そんな家庭に共通することを探ってみました。

共働きである

共働きの家庭であれば、「ママはいないこともある」、「ママもお仕事をしている」といったことが、小さいうちから少しでもわかっていますので、「ママがいい」が出る可能性は低くなります。

専業主婦で、しかもワンオペ育児となると、子どもと離れている時間は、子どもが寝ている時だけ・・・というケースもありえます。

つまり、子どもにとって、ママがいない状態というのは今までなかったわけですから、いざママと離れる時になると、それは「ママがいい」になりますよね。

とはいえ、共働きできない家庭の事情もあると思います。そういう場合は、前もってママがすべてを背負いこまない工夫をしておくことが肝心です。

「夫婦で子育てしている」という意識がある

子どもはママから生まれたのだから、「ママがいい」と言うのは当たり前だ、という向きもあります。

それは、その通りだと思います。ほっておけばそうなることは目に見えています。ですが、働く女性が増え、家族観を含め、生き方の多様化が進む現代だからこそ、「ママがいい」から、「パパがいい」、「パパでもいい」を増やしていく必要があるのではないでしょうか。

保育園のお迎えに行くのがいつもママだったとしたら、手始めに、パパにも行ける日はお願いしてみるのはどうでしょうか。

共働きであっても、パパの意識が「やっぱり子ども担当はママ」に固定されていて変わらないと、働くママの大変さは専業主婦でワンオペのママのそれと変わりません。

完全母乳にこだわらない、もしくは逆手に取る

抱いていた赤ちゃんが泣いてしまって、どうやっても泣き止まない時、自分が授乳できないことを理由に、「やっぱりママじゃないとダメだってさ~」となぜか嬉しそうに赤ちゃんをママに返すパパを見かけることがあります。

それを、なかばうんざりした顔で受け取るママ。

完全母乳にこだわらないのであれば、おっぱいを理由にパパを育児から締め出すことがなくなるミルクは、悪くない選択かもしれません。

ミルクで育つ、パパの母性もあります。

ちなみにあるママは、完全母乳にはこだわる代わりに、それ以外の育児や家事を一切パパに丸投げしてやってもらったというツワモノ。いわば、母乳育児を逆手に取ったわけです!

母乳に関しては繊細な問題で、あげたくてもあげられない場合もありますし、出るけれど、身体の負担を減らすために混合育児を選ぶ人もいます。

それぞれの夫婦が納得する形を選べばいいのではないでしょうか。