生麦で山手に思いを馳せる

さて、山手にあるビール発祥の地をめぐったあと、現在、キリンビールの横浜である生麦工場の外観を見に行ってみようと石川町から新子安へ移動して歩いていくと、行く手に「KIRIN」の文字と巨大な施設が見えてきた。

 
山手123番時代、開業当初1885(明治18)年ごろのジャパン・ブルワリー
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興奮にまかせて工場に近づいていくと、横浜環状北線工事のフェンスに、まさにいま追いかけているビールの歴史が描かれている。

おお、素晴らしい資料だと写真を撮影しながら奥へと進んでいくと、警備員の方が「工場見学ですか?」と声をかけてくださった。

たしかに歩いてくる道すがら、ほんのりと頬を赤らめたご機嫌な人たちと何度かすれちがった。噂に聞いていたキリンビールの工場見学はまさにここだった。

誘惑にかられて取材のことを忘れかけ、「予約してないんですが、ふらっと来て入れることもあるんですか?」と聞いてみると、予約に空きがあれば入れることもあるという。誘惑はさらに輝きを増したがそこで正気を取り戻し、ビールの歴史を取材していることを伝えると、「受付に話してみるといいですよ」というアドバイスが。

お言葉に甘えて、いざ館内へ。

エントランスを抜けて受付に向かい、取材の内容と後日の取材の約束をと話すと「少しお待ちください」と椅子を勧められ、5分ほどすると、何と「いま広報の担当者が参りますので」ということに。

本来は事前の予約が必要だが、たまたま30分ほど時間があいていたということで、あれよあれよという間に取材できることになった。横浜工場総務広報担当の三田さんのご厚意とビールの神様の思し召しに感謝。

というわけで、ここからは現在は工場見学のルートには含まれていない歴史コーナーで見せていただいたものと、三田さんとキリン横浜ビアビレッジブルワリーツアーガイド井上さんにうかがった話も交えて話を進めていく。

ラベルの右上の大きな写真がコープランド、中央上の写真はグラバー
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先の写真では白飛びしてしまい、権利関係で入手できなかったコープランド氏(記者画)
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ほかにも大正時代のポスターや当時の工場内部の写真、キリンビールの馬車
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そして昭和から戦中、戦後へと展示パネルは続く
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