N響「第9」チャリティーコンサート(2013年公演より) N響「第9」チャリティーコンサート(2013年公演より)

今年も「第九」の季節がやってきた。いまや俳句の季語にもなっている暮れの風物詩だが、なぜ年末に「第九」なのか。さまざまな説があるものの、決定版的な答えは見つからない。しかし「年末の第九」が恒例化した様子を、演奏記録からおおまかに探ることはできる。

チケットぴあ/「第九」コンサート特集2014

1926年発足の新交響楽団(NHK交響楽団の前身。1942年に日本交響楽団。1951年に現称)が最初に「第九」を演奏したのは、ベートーヴェン没後100年の1927年5月のこと。日本のプロ・オーケストラによる初めての「第九」だ。そして新響は翌1928年、初めて12月に「第九」を演奏している。同楽団の初代指揮者・近衛秀麿による日本人指揮者初の「第九」が、日本の師走に響いた初めての「第九」でもあった。ただし、新響の次の「年末の第九」は10年後の1938年まで待たなければならない。そしてどうやらその1938年12月こそが、「年末の第九」恒例化の始まりと言えそうなのだ。

1938年末の公演を指揮したのは専任指揮者としてドイツから招かれていたジョセフ・ローゼンストック。「年末の第九」の定着に、彼の示唆が影響したとも言われる。というのは、彼が、当時ドイツで習慣だったという大晦日のラジオ・ライヴの「第九」に言及した記録が残っているからだ。いずれにしても新響は、この1938年以降ほぼ1年おきに、1946年からは原則として毎年、12月に「第九」を演奏し、「年末の第九」恒例化の先鞭をつけた。

さらに同じ頃から、NHKのラジオ放送もこれに同調するように動き始めていた。1940年の大晦日に初めて新響による「年末の第九」を放送すると、太平洋戦争中も、正月に移りはしたが「第九」放送が続き、終戦の1945年からは再び年末に戻って放送している。テレビ放送初年の1953年末にはさっそくテレビ中継も行なわれた。

こうしたメディアの力も大きかったのだろう、1950年代半ば以降、各オーケストラも続々と「年末の第九」に加わった。「第九」研究家・鈴木淑弘氏の集計によれば、1955年に全国でたった3回だった12月の「第九」公演は、1960年代には2ケタに増え、70年代に50回を、80年代に100回を突破している。戦前から戦中に始まった「年末の第九」が、どんどん定着してきたのだ。

今年も全国各地でさまざまな「第九」が演奏される。注目の公演をピックアップしてみよう。

文:宮本明

⇒年末の第九(2)注目公演がいっぱい!どれを聴く?

【参考資料】
NHK交響楽団ホームページ 演奏会記録 [URL]http://www.nhkso.or.jp/library/archive/
鈴木淑弘『〈第九〉と日本人』(春秋社/1989年)
『洋楽放送70年史』(洋楽放送70年史/1997年)