「こだわり家」ができるまで

友人に誘われ精肉店に就職した幸雄さんが、その5年後の1972(昭和47)年、現在の場所に「金子精肉店」として開業したころは、まだ街の食肉小売販売店だった。
もちろん今も品質にこだわり厳選した国内産の肉材を扱う精肉店である。

良質な肉を扱う店として評判になり、まもなく経営は順調に軌道に乗った。そこで、精肉店としてさらにその先にできることはないかと考えていたとき、船舶料理士をしていて世界各地を見た友人から、「ヨーロッパの精肉店は自家製のハムやソーセージを販売している。日本でもやってみたら面白んじゃないか」と勧められた。

そして、その実現について考え続けていた幸雄さんは、1985(昭和60)年から独学でハムとソーセージの試作をはじめた。同じ時期に同じことを考えていた精肉店仲間たちとグループのようなものをつくり、情報交換をするなど研究を続けた幸雄さんは、1990(平成2)年に「こだわり家」に屋号を変更して、食肉加工品販売をはじめた。

すると販売を開始したハムやソーセージはどの商品も好評。

そこで、自分の味が本場ヨーロッパでも通用するのか試してみようと、1994(平成6)年、オランダのユトレヒトで3年に1度おこなわれる「スラバクト国際加工品コンテスト」のソーセージ部門にいくつか出品すると、全品が入賞、しかも1品が銀賞だったほかはすべて金賞という結果だった。

1996(平成8)年には剛久さんもドイツに研修に行き、技術に磨きをかけた。その後、1997(平成9)年にオランダで開催された2つのコンテスト「スラバクト国際加工品コンテスト」と「トレード国際加工品コンテスト」に出品すると、やはり同様の結果だった。このとき「スラバクト」にはウインナー部門でも金賞を受賞したので、これ以上は同じということで、コンテスト参加はそれで最後にしたとのこと。

近年ではドイツで開催されている世界最高峰の食肉コンテストである「SUFFA(ズーファ)」で受賞している精肉店もあるが、「こだわり家」がコンテストに出品していた当時は、まだSUFFAへの日本人の参加は認められなかったという。

ちなみにソーセージはフランクフルトソーセージが豚の腸、ボロニアソーセージが牛の腸を使用したもの。ウインナーはソーセージの一種だが羊の腸を使用したものをいう。

ただし、現在は動物の腸ではなく人工のケーシング(ソーセージの表皮部分)を使用する商品も増えているので、日本では「直径20mm未満をウインナーソーセージ、20mm以上36mm未満をフランクフルトソーセージ、36mm以上をボロニアソーセージという」と定めるJAS規格もある。

店内には壁を埋め尽くすようにずらりと受賞した賞状がならぶ

現在では自家製のハムやソーセージなどの加工肉を扱う精肉店も増えているが、90年当時の日本にはまだほとんど存在しなかった。

スラバクト国際加工品コンテストの「COMPETITION RULES AND GUIDELINES(コンペティション・ルールズ・アンド・ガイドラインズ)」の第1項には

「本財団の規約で定められた目的に従い、スラバクト財団は職人の技能向上のための機会を与え、それによって生鮮食料品の品質向上を目指すものである。またそれを受けて、スラバクト財団は、伝統的な方法によって製造された生鮮食料品を対象とした国際コンテストを主催する(原文英語)」とある。

このようなコンテストで多くの金賞を受賞している「こだわり家」は、一方で2000(平成12)年にはホームページを開設、ネット販売も開始している。また2001(平成13)年には横浜市認定学校給食指定納入業者も取得しており、伝統と質を重んじると同時に、時代を先取る感覚もあわせ持つ名店である。