『KANO~ 1931海の向こうの甲子園~』に出演した永瀬正敏

日本統治時代の台湾で、台湾人(漢人)、台湾原住民、日本人の三民族の混合チームで甲子園に出場し、決勝戦まで進んだ嘉義農林学校の実話を映画化した台湾映画『KANO~ 1931海の向こうの甲子園~』。主演で野球部の鬼監督を演じた永瀬正敏が、日本での公開を前に本作への思いを語った。

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撮影が行われたのは永瀬にとってはちょうどデビュー30年目の時期。当初はスケジュールの関係で参加するかどうか悩んでいた。本作のプロデューサーで脚本を務めるウェイ・ダーションの古くからの友人で、永瀬とは『私立探偵濱マイク』などで縁の深い林海象の後押しもあって出演を決めた。「海象さんから『僕の友人なので一度、台本を読んで決めてほしい』と連絡をいただきました。届いた台本を読んでみたら、すべてが初めて知ることばかり。甲子園に台湾代表が出ていたことも、嘉農(KANO)というチームのことも知らなかったです。日本も他の国も大変な時代に僕らの先輩でこんな素晴らしいことを成し遂げた方がいるんだということを、多くの人に知ってもらいたくなって『やりましょう!』となりました」。

まさに30年の人との繋がり、縁に導かれて参加した作品と言える。「不思議でしたね。ウェイさんは、僕が過去にお世話になった台湾のエドワード・ヤン監督の下で助監督をされていた人でもあり…僕にとっても忘れられない作品になりました」。

永瀬が演じた近藤兵太郎も実在の人物。すでに亡くなってはいるが「現地に体温はまだ残ってる」と語る。「実際に近藤さんの指導を受けた方や、孫弟子の方もいらっしゃって、その方々を介して、人となりや練習方法などを伺いました。そうしたら、ものすごい長文のメールをいただいて…。実際、野球に関しては映画で描かれるようなスパルタの鬼監督だったんでしょうが、ひとりの人間についてそれだけの長い文でかけるような、どこか魅力のある方だったんでしょうね。根性論で突っ走るだけの人ではないとその時に感じました」。

生徒を演じた若き俳優たちは、野球の能力を優先して選ばれており、多くが演技未経験だった。彼らはいまでも永瀬を“師”と仰ぎ、慕っているという。「30年前の僕と同じなんですよ。演技の勉強を一切したことなくて、僕は相米(慎二/故人)さんという鬼監督の下でしたが(笑)。彼らを見ていて感慨深いものがありました。ただ、彼らは当時の僕よりもずっと大変だったと思います。カメラの前に立ったこともない中で訓練して、慣れない日本語やいまではあまり使われない台湾語も覚えなくちゃいけなくて、野球もあって…。僕にとっては姉弟関係というより、年は離れていても尊敬できる仲間だし、いまもあの子たちに会いたくてしょうがないんです(笑)」。

『KANO~ 1931海の向こうの甲子園~』
1月24日(土)全国公開

※取材・文・写真:黒豆直樹