いま思えば、負けるべくして負けたのかなと思う

瀬川 弱かったから、のひと言に尽きますね。いろいろ甘かったし、生活もストイックではなかったし、いま思えば、負けるべくして負けたのかなと思います。

――映画のしょったんは、お父さんが亡くなったときに「僕はそんなに頑張らなかった」と泣きながら告白しますが、頑張らなかったことはないですよね?

瀬川 いや、ちょっと遊んでしまったりして、三段時代に頑張り切れなかったという思いは少しあるんです。

――遊んでしまったというのは、映画のしょったんのように、年齢制限の恐怖に脅えて逃げちゃったということですか。

瀬川 まあ、そうですね。現実から目を逸らしたかったんだと思います。

今泉 あの光景はリアルでよかったですよね(笑)。あれは、かなりリアルです。

瀬川 今泉くんは、三段時代はどんな感じでした?

コイツは俺よりも強いかもしれなと思い始めたときから、泥に浸かっていくような感覚に

今泉 瀬川さんと大差ないです(笑)。どうしても、瀬川さんたちの世代だったら、映画では染谷将太さんが演じている村田康平さん……あれは田村康介七段がモデルだと思うんですけど、ほかにも鈴木大介九段や、関西だったら山崎隆之八段という棋士たちがいて、そういう強い後輩たちと出会う中で、自分の才能についていろいろ考えさせられるんです。

これはあくまでも当時の話ですけど、コイツは俺よりも強いかもしれなと思い始めたときから徐々に足が泥の中に浸かっていくような感覚になって。

それはさっきの泥にハマっていくシーンに近いものですけど、あんなに一気に落ちていくわけではなく、徐々に徐々に埋まっていって、最後に姿形が見えなくなってしまうという感じなんです。

僕は自分の本では、首に縄がかかるという表現にしたんですけど、勝負どころで負けるうちに自分の自信が少しずつ砕かれていって、足が泥の中に徐々に徐々に埋まっていく。そんなイメージでした。

『泣き虫しょったんの奇跡』©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社

――映画では、妻夫木聡さんが演じられた冬野渡がしょったんに「その才能が死ぬほどうらやましい」と言って奨励会を去っていくシーンがありましたが、あれも現実にあったエピソードですか。

瀬川 あれはちょっと違います。亡くなられた兄弟子の小野敦生さんという棋士の方が、僕を励ます意味で「君には才能があるんだから」と言ってくださったことがあって。

映画はその言葉を退会していく人のエピソードに重ねているんです。

――松田さんはあのシーンを撮っているときは、冬野のあの言葉の意味が「あまりよく分からなかった」と言われていました。

“同じ棋士で、レベルもそんなに変わらないのに、この人はなんでそんなことを言うんだろう?”と思ったそうです。

でも、先ほども挙がった清又との対局のシーンを撮っているときにその言葉がじわじわと効いてきて、負けた瞬間に“瀬川さんはもともと才能があるけれど、あのときは勝利をもぎ取りたいという気持ちが弱かったに違いない。

そうじゃなかったら、プロへの編入試験であんなにプロを次々に倒せるわけがない”という考えにおよんだと言われていました。

今泉 おっしゃる通りです。

瀬川 そうですね(苦笑)。あり難い言葉です。

コイツは格が違うなという奴はやっぱりいる

今泉 結局、気持ちが足りないんですよ。三段まで昇ってくる人はみんなプロになる才能があるんですよ。ただ、その中にはコイツは格が違うなという奴はやっぱりいて。

分かりやすく言うと、藤井聡太くんです。藤井くんが上にいけるものを持っているというのは我々プロから見ても分かるし、そういう人は僕が三段のときにも確かにいた。

これは僕の感覚ですけど、そういう人たちを前にすると、ちょっと劣等感みたいなものを抱いてしまうんですよね。瀬川さんは違うかもしれないですけど、僕にはそういう感覚がちょっとありました。

――瀬川さんが勝又との対局で勝つための一手を指せなかったのも、勝利を取りに行く気持ちが弱かったからなのでしょうか。

やめたときに、将棋関係の持ち物はほとんど捨てていた

瀬川 きっと弱かったんでしょうね。すごく追い込まれているのに、自分ではまだ余裕があると思っていて。余裕をかましていたつもりはないんですけど(笑)、棋士としては甘かったなと思うところがあります。

――瀬川さんは奨励会を退会されてから大学に入って、サラリーマンになられたわけですけど、退会したときは、映画のしょったんのように“将棋なんかもうやりたくない”とか“将棋が憎い”などと思ったんですか。

瀬川 そうですね。やめたときに、将棋関係の持ち物はほとんど捨ててしまいました。

――捨てたんですか。

瀬川 ええ。奨励会の棋譜もとってあったんですけど、全部捨てて、将棋をもう指すことはないだろうなと思っていました。

人間にとって何がいちばん辛いかと言うと、自分の価値が分からないこと

――今泉さんは、退会されたときはどんな気持ちでした?

今泉 僕の場合はまたちょっと違います。退会した僕の家に「将棋教室の講師をしてください」という電話をかけてきてくれた人がいて、その人が「今泉さんはここまで本当によく頑張ってきたと思います」と言ってくださったんです。

その言葉がすごく大きかった。瀬川さんがさっきおっしゃったように、奨励会を退会したらゼロなんですよ。

そんなゼロだと思っているところに、僕の場合は自分の価値を認めてくれる人がポンと現れてくださったんです。

人間にとって何がいちばん辛いかと言うと、自分の価値が分からないことだと思うんですけど、僕はそこで自分の価値を認めてもらえたし、根っこのところではやっぱり将棋が好きなので、「俺はアマチュア日本一にでもなるか」って気持ちを切り替えることができたんです(笑)。

でも、あの言葉がなかったら、将棋を続けていなかったかもしれないですね。

『泣き虫しょったんの奇跡』©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社

――映画でも、アマチュアの強豪でもある小林薫さん演じる藤田守の言葉によって、しょったんも再起します。

瀬川 そうですね。あの藤田という役は遠藤正樹さんというアマ棋士の先輩の方がモデルなんですけど、僕も遠藤さんの言葉がなければ、行動を起こすことはなかったと思います。