奨励会を退会したときは将棋を憎んでいた

――一度将棋を全て捨てた瀬川さんが、アマチュアの将棋倶楽部に通い出したのは何かきっかけがあったんですか。

瀬川 奨励会を退会したときは将棋を憎んでいたというか、将棋なんかやらなければこんな酷い目に遭うこともなかったし、将棋なんか見たくないと思っていたんです。

でも、1年後に大学に入って、バイトをしたり、授業に出たりして生活が安定してきたら、また指したくなって。それで将棋を恨んでもしょうがないなと思い直して、純粋にアマチュアとして将棋を指すようになったんです。

――そこからが本当に、この映画の見どころでもあり、奇跡の部分だったりするんですが、アマチュアからプロへの編入というのは瀬川さんが最初なんですよね?

瀬川 奨励会という制度がきちんとできてからは、僕が初めてです。

――革命を起こしたわけですね。

瀬川 いやいや、僕は別に何もしてないです(笑)。

先ほどの遠藤さんや応援してくれた人たち、当時の将棋連盟の方々が前向きに検討してくれたおかげです。

それこそ、今泉くんがいちばん最初に「頑張ってください」というメッセージをくれたんですよ(笑)。

今泉 あっ、そんなことを書いたような記憶があります(笑)。

瀬川 僕が「編入試験を受けてプロになりたい」と手を挙げたときですね。

その僕の発言を知った今泉くんが、将棋関係の人たち専用の掲示板に「応援します」というメッセージを書き込んでくれたんです。

今泉 ただ正直、そのときは実現するとも思っていなかったんです。でも、それが実現したから、僕も瀬川さんと同じぐらい喜びました(笑)

瀬川さんが編入試験に合格して、「あっ、俺ももう一度やれる」って思った

――そのときはどういう立場だったんですか。

今泉 僕はただのアマチュアです。ただのアマチュアで僕も社会人をやっていました。

でも、僕は瀬川さんのように爽やかな感じでプロの道を諦めたわけではなく、全然割りきれてなかったんですよね。

心の中に毒を持ったまま、働かなきゃいけないからガムシャラに走っていたんですけど、魂はまだ奨励会に置いたままの状態だったかもしれない。

だから、瀬川さんが編入試験に合格してそういう制度ができたときに、もちろんそんなに簡単なことではないけれど、「あっ、俺ももう一度やれる」って思ったんです。

瀬川さんの人間力が大きかった

――映画ではわりとサラッと描かれていますけど、奨励会で多数決をとって編入試験の実施に賛成される方が多かったから、施行されることになったんですよね。

瀬川 プロ棋士の方々の多数決ですね。奨励会員は何の発言力もないし、奨励会員の多数決だったら全然ダメだったと思うんですけど、まあ、プロ棋士の多数決で賛成が多かったから、編入試験を受けさせてもらえることになったんです。

――プロ棋士の方々の賛成が多かったのは、何か理由があったんでしょうか。

瀬川 実際にはスポンサー側からも、開かれた将棋界をアピールするために瀬川くんの試験だけでも認めてあげよう、という後押しがあったようです。

あと、当時会長だった米長邦雄先生が前向きに動いてくださったことも大きいと思います。

今泉 瀬川さんの人間力、人望も大きかったんじゃないでしょうか。こんないい先輩いませんからね。

本人を目の前にして言うのもなんですけど(笑)、無類の好人物ですし、切磋琢磨してプロ棋士になった人たちは、瀬川さんのことをみんなよく知っているから、“瀬川くんなら”というところも絶対にあったと思います。

甘くはない世界

――編入試験をやったとしても、プロ棋士を相手にそんなに勝てるわけがないと高をくくっていた人もいたんじゃないでしょうか。

今泉 そんなに甘くはないと思っていたでしょうね。それは間違いないです。

実際、編入試験で対局するプロ棋士もみんな強い人ばかりで、それこそ瀬川さんの一局目の相手はいまの名人、佐藤天彦さんでしたからね。

瀬川 映画では青嶋未来五段が演じる、佐山三段として描かれている人です。

――編入試験の実施が決まったとき、瀬川さんはどんな気持ちでした?

瀬川 すごく嬉しかったですね。多数決も厳しい結果になると思っていただけに、道が開けた、もう一度チャンスをもらえたという喜びが大きかったです。

――編入試験では何勝しなければいけなかったんですか。

瀬川 僕の場合は6戦して3勝すれば合格というルールでした。

――それで、ギリギリ3勝して編入できたわけですね。

瀬川 そうです。

『泣き虫しょったんの奇跡』©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社

――ご自身の中でも、奨励会の三段リーグで勝ち進められなかったときと編入試験のときとでは気持ちの面などの違いはありましたか。

瀬川 編入試験のときはたくさんの方に応援してもらっていたし、僕が合格しないと道が開けないとも思っていたので、それなりのプレッシャーはあったんですが、負けたら趣味として将棋を楽しもうという割り切った気持ちでやれたんです。

――負けたときと勝ち続けたときとでは、気持ちが違うのかなと思ったのですが。

瀬川 奨励会の三段リーグのときのような、追い込まれたような気持ちではなかったですね。

――映画では「応援の言葉がキツい」と弱音を吐くシーンもありましたが、ああいう気持ちにもなりました?

瀬川 そうですね。僕は1局目が勝負だと思っていたので、1局目で負けて、もしかしたら全部負けちゃうかもと弱気になったときは、せっかく編入試験ができる道を作ってもらったのに、申し訳ないなという気持ちになりました。

――劇中の藤原竜也さんのように、見知らぬ人から応援の言葉をかけられることもあったんでしょうか。

瀬川 けっこう、ありました。友だちの結婚式の二次会で「プロの編入試験を受けている人に似ていますね」って言われたこともありました(笑)。

――そういう応援もあって、つかみとれたところもあるわけですね。

瀬川 まあ、そうですね。

――今泉さんは、瀬川さんが3勝して合格したことを最初に聞いたときはどう思われました?

今泉 スゴいな~と純粋に思いました。でも、さっきも言いましたけど、あれは瀬川さんだから実現したことだと僕は思っています。

瀬川さんのおかげで正式な制度ができた

――でも、そのときに自分にもチャンスがあると思われたんですよね。

今泉 そうですね。瀬川さんのおかげで正式な制度ができたときに、僕も“よし、やるぞ!”って思いました。

瀬川 でも、この正式な制度が、クリアーする人はいるのかな~と思うような非常に厳しいものだったんです。

今泉 だから、瀬川さんの後に僕がプロ編入試験を受けて合格したんですけど、その後は誰もいないです(笑)。

――今泉さんは、どういう経緯で編入試験を受けられることになったんですか。

今泉 いまはプロ棋士相手に6割6分7厘の成績をとると一応プロ編入試験を受ける資格ができるんですけど、僕はそこで10勝5敗という成績を上げたんです。

瀬川 僕が合格した後にそういう制度ができたんです。

プロ相手に6割6分7厘……6割5分以上の勝率を残すというのは無茶なルール(笑)

今泉 でも、単純に考えてみてもらえば分かると思うんですけど、プロ相手に6割6分7厘……6割5分以上の勝率を残すというのは、はっきり言って「何を言うとるんじゃ!」というぐらいの無茶なルールなわけですよ(笑)。

高校球児がいきなりプロ野球の世界に入って首位打者をとるような活躍をする、それぐらいのレベルですよね。

だから、考えてもいなかったんですけど、僕の場合も瀬川さんと同じように、周りの人が神輿をうまくかついで、そこに僕を乗せてくれたという感覚があって。僕もそれで、プロ編入試験まで辿りつくことができたんです。

――今泉さんは、その対局でなぜその不可能とも思えるような勝率を出せたと思いますか。

今泉 三段リーグで勝てなかったのは、僕の人間力が足りなかったからだと思っています。

でも、周りの方々が助けてくださっていることに気づいて、本当にありがたいなと心の底から思うようになってからは、なぜか成績がついてきました。

瀬川 でも、今泉くんは実力で勝ち取ったという印象がありますね。

正規の成績を収められるような状況を作ったのは、今泉くんがいま言った周りの人たちへの感謝の気持ちだったとは思いますけど。

今泉 そうですね。

瀬川 僕もまさに、周りの人たちに背中を押してもらって、制度がない中でそういう編入試験を特別にやってもらえたので、いろいろな幸運があったと思います。

『泣き虫しょったんの奇跡』©2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 ©瀬川晶司/講談社

――映画では、野田洋次郎さん演じる鈴木悠野という親友の存在も印象的に描かれています。

瀬川 彼のモデルは、僕の自宅の向いに住んでいた渡辺健弥くんという同級生です。

――彼の存在もやっぱり大きかったんでしょうね。

瀬川 そうですね。僕は彼がいなければ将棋が強くなることはなかったので、もちろん大きいです。

――劇中の悠野くんは、「自分も奨励会に入っていたら、一緒にすぐ四段になれたのに」と言いますけど……。

瀬川 いや、それは分からない。彼との競争がずっと続いていたら、もしかしたら、ふたりとも四段になれたかもしれないけれど、それは分からないです(笑)。

今泉 僕も彼とは何回も指したことがあるんですけど、まさに天才と言ってもいいひとりだったので、人生はやっぱり面白いですよ(笑)。