<横浜のココがキニナル!>
神奈川に住む者にとって大きなグレーゾーンが存在します。何処から何処までが湘南だと言えるのでしょう?諸説ありますが、はまれぽなりの調査と判断で、何処から何処までと定めて(ポタリんさん/ひろりん。さん)

※本記事は2015年1月の「はまれぽ」記事を再掲載したものです。

 

この記事では最初に結論から言わせていただきます。

「湘南はね、みんなが思う場所が湘南なんだよ」。

はい、今、失笑した人、手あげようか。冗談じゃないんです、真面目なんです。

この記事を書くにあたり、読んだり話したり聞いたりして「湘南」を追いかけていたのだが、探れば探るほどにぼんやりしてしまう。本・書籍・行政など、どこも「湘南」という定義、理由がばらばら。形があって形がないもの、それが湘南か!! と悟れそうで悟れないここ数ヶ月。ライター・山崎とはまれぽ編集部・山岸の愛の湘南探しの模様をお楽しみいただけましたらば幸いでございます。

図書館で調べる

まずは文献で湘南の発祥と、いつごろから湘南と呼ばれることになったのかを調べた!

小田急線・湘南台駅から徒歩10分の藤沢市総合市民図書館へ。

『角川日本地名大辞典(角川書店)』や、神奈川県発行の『湘南の歴史―湘南 そのセピア色の時代―』によると「湘南」とは「相模の南」という意味で、本来ならば「相南」というべきだが、中国湖南省の洞庭湖(どうていこ)の南岸にある「瀟湘湖南(しょうしょうこなん)」の景勝地に似ていることから「湘南」と名付けられたとのこと。

いつから「湘南」という言葉が使われ始めたのかは定かではないが、大磯の鴫立庵(しぎたつあん)の碑に「著盡湘南清絶地(ああ、しょうなんせいぜつち:清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所)」と書かれており、その碑が建てられた江戸時代には使われていたのでは、という。

うわさの鴫立庵

また『日本地名大辞典(角川書店)』の指している湘南エリアは、相模湾に面する一体で、鎌倉市・藤沢市・茅ヶ崎市・平塚市・高座郡寒川町・中郡大磯町・二宮町の、かなり広い範囲を指す。資料の中に古い写真がありました。

 

1930(昭和5)年の江の島(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)

 

江の島桟橋も木造の1930(昭和5)年(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)

 

昭和初期の様子(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)

海岸沿いの松林はこのころに人の手で植えられたという。

昭和初期、平塚市の須賀港からみた大磯(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)
1930(昭和5)年のにぎわう平塚海水浴場(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)
大磯の花水(はなみず)橋の昭和初期の様子(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)
1955(昭和30)年ごろの茅ヶ崎の湘南ドライブウェー(『湘南の歴史 ―湘南 そのセピア色の時代―』より出典)

見慣れた風景の過去。1人で盛り上がれました。でも、寒川も湘南って言うのは疑問だなあ・・・山崎家は寒川町まで車で10分ぐらいだけど、寒川を湘南だと思ったことはない、断じて。山崎がイメージする「『湘南』=海」まで原付で一時間ぐらいかかるほど遠いし。

 

車の中からの寒川。フロントガラス汚いよ父ちゃん
ここも寒川らへん

弟にも電話で聞いてみたら「ぜんぜん、湘南じゃないよ。一度も思ったことないよ。なんか最近夜中に車のスピーカーから変な声が聞こえてくるんだよね」と言っていた。頑張れ弟!!