地震、水害、台風、土砂崩れ、異常な猛暑・・・たくさんの災害に次から次に襲われ、いまや全国各地が「被災地」となっている日本。

こうした災害に見舞われても、日々の赤ちゃんの授乳は避けて通れないものですが、災害避難所は不安でイライラした、しかも見知らぬ大人たちが共同生活を強いられる“究極のパブリック”(公共空間)。そんな場所で、ママとして、社会として、災害時の授乳をどう考え、いま何を知り、備えたらいいのか。

東日本大震災・熊本地震など被災各地のママたちの経験と知恵を伝え、“ママたちを本気にさせる”備災講座として人気の「防災ママカフェ®」主宰・かもんまゆさんに聞きました。

「赤ちゃんの食事=母乳」があげられない?乳幼児ママのストレスと劣悪な避難所のプライバシー

――かもんまゆさんは(一社)スマートサバイバープロジェクト特別講師として、「ママが知れば、備えれば、守れるいのちがある」を合言葉に「防災ママカフェ®」を全国で展開されています。

災害時、また“究極のパブリックスペース”ともいわれる災害避難所で、赤ちゃんを連れたママたちがどのように過ごしていたのか、教えてください。

かもんまゆさん(以下、かもん):東北と熊本の被災地のママたちへの物資支援を通じて聞かせていただいた、合わせて400人以上のママたちの経験と知恵を集めて作った『ママのための防災ブック』を企画制作したことをきっかけに、幼い子どもと共に被災するとどうなるのか、被災地のママが直面したリアルな状況を「他人事ではない」情報として「防災ママカフェ®」などの場を通じて全国のママたちにお届けしています。

一口に“被災地のママ”といっても、東日本大震災と熊本地震では被災や避難の状況も異なっていますが、「地震の瞬間から数日間、一体どうやって過ごしたのかよく覚えていない」というママも少なくありません。それぞれがそれぞれの環境で、どうにか確保した場所で、何とか授乳を続けていたのだと思います。

ようやく避難所にたどり着くことができても、授乳スペースなんてない。辛うじて段ボールなどで「授乳室のような場所」を作ったところもあったようです。

特に女性は着替えや授乳などに不安を感じる人が多く、胸をはだけて授乳しなくてはならない乳児ママは、安心して授乳できる環境にはありませんでした。

――避難生活におけるプライバシーの確保や防犯は、何度災害が起きても大きな課題のままですね。

かもん:災害が起きた直後から1~2日くらいの避難所は「誰かと一緒にいられるだけで安心です」とみんなで肩を寄せ合っていたのに、避難生活が長くなってくると先の見えない不安から人々のストレスが溜まるせいかピリピリしたムードになり、ちょっとしたことでも大きなもめごとになったそうです。

「赤ちゃんや子どもの泣き声がうるさい」「静かにさせて」「出ていけ」など、心ない言葉を投げつけられ、赤ちゃんを泣かせないようにと2カ月間、常に抱っこし続けたママもいました。そしてこれは極端な例ですが、福島の避難所で「赤ちゃんがうるさい」と包丁を振り回した男性が逮捕されています。

――そんな雰囲気の悪さやママの不安はダイレクトに赤ちゃんに伝わりますから、落ち着くどころかもっと泣いてしまいますよね。その泣き声に、さらに人目が気になるママ。さらに不安になって泣き止まない赤ちゃん・・・そんな悪循環が想像できます。

かもん:いたたまれなくなったママたちは、避難所を出て車中泊をしたり、親せきや知人宅を転々とするといったこともありました。

あまりに緊張が続くと、ママのおっぱいの出が悪くなったり、赤ちゃんに適切にお乳を吸わせる時間や場所がない場合は、乳腺が詰まってしまい、悪寒や高熱を伴う乳腺炎になってしまうママもいました。

そして災害時というのは皆心身ともに疲弊しており、「なぜこんなことに」とやり場のない怒りを抱えて、DVや性犯罪が増えると言われています。

授乳中、間近でジロジロ見られたり、女性が眠る布団の中に夜そっと忍び込んできたり、暗い仮設トイレの周りで体を触られるなど、そういった話も少なくありません。

そうした行為を目にしても注意する元気もなかったそうで、熊本では「見て見ぬふりをしないで」という注意喚起のチラシが配られるほどでした。

――正直なところ、そこまでとは思っていませんでした・・・では赤ちゃんとママ自身の安心のために、私たちはどのような準備をしておいたらいいのでしょうか。