写真/田中舞

 劇団「東京セレソンデラックス」の名作舞台を映画化した『あいあい傘』(10月26日公開)で、生き別れた父親(立川談春)に25 年ぶりに会いに行く娘のさつきを演じた倉科カナ。父に対する複雑な思いを感情豊かに表現している。「この役は他の人には渡したくないと思った」という、さつき役への強い思いなどを語った。

-この映画の父と娘との関係について、ご自身と照らし合わせて演じたところはありましたか。

 私自身の境遇が、さつきちゃんと似ているところがあって、台本を読んだときに、魚の骨のように、心の奥底に引っかかっていた感情が、ポロっと取れたような感じがしました。それで、この気持ちを映画に乗せられたら、引っかかっていたものが昇華されるのではないかと思って涙が出てきました。なので、この役は他の人には渡したくない。ぜひ、さつきちゃんを演じてみたいと思いました。

-生き別れた父親に、25 年ぶりに会いに行く、という設定についてはどう思いましたか。

 25 年も会っていない父親なのだから、もう忘れてもいいのでは、と思う人もいるかもしれませんが、そうではなくて、家族は、当たり前の存在だからこそ、大切なことが見えなくなったり、忘れていたりすることがあると思います。そういうことを、映画を見た人が気付いてくれたらいいなと思いました。また、私が演じることで、そういう思いを皆さんに届けたいなと思いました。

-さつきは、喜怒哀楽がとても激しい役でしたね。

 役作りということにはあまりとらわれないようにしました。(宅間孝行)監督と初めてお会いしたときも、「ただ父に会いに行く、という気持ちだけで現場にいていいですか」とお伝えしました。頭で考えるよりも、現場で、生で起きた感情を大切にしました。さつきちゃんには、父親に対する憎しみもあり、会いたい気持ちもあり、母親への思いもありと、本当にいろいろな気持ちが混在していたので、瞬間的にどの感情が出てくるのかは、私にも分かりませんでした。それで、監督や共演者の方とも話し合いながら演じていきました。

-本作は、もともとは舞台劇ということもあり、カメラの長回しや長ぜりふのシーンが多かったですね。特に居酒屋で酔って本音を吐くシーンが印象的でしたが、あのシーンは台本通りで、アドリブなどはなかったのでしょうか。

 あのシーンにいくまでに、いろいろな感情の蓄積があったし、監督もいい方向に持っていってくださったので、それほど難しくはなかったです。「ただあのシーンを生きた」という感じでした。あのシーンは、ワンカットで、ハプニングがあってもやめずに最後までいくつもりだったので、アドリブもたくさん入っています。(相手役の)市原(隼人)くんがとても純粋な人なので、私のアドリブに対する彼の反応を見るのがとても楽しくて(笑)。それがそのまま映画に使われています。

-映画の最後に「結婚して夫婦で歩いていくことは、あいあい傘で雨の中を歩くこと…」というせりふがありました。倉科さんご自身の理想の結婚観は?

 私はまだ結婚していないのでよく分かりませんが、夫婦とはあのせりふのように、楽しいことよりもつらいことや、困難の方が多いと思います。それを2人でどう乗り越えていくのかが大切なのだと思います。なので、私の理想の結婚観はまさにあのせりふの通りです。そうなれればいいなあと思います。

-この映画は、倉科さんにとってどんな作品になりましたか。

 個人的な思いで申し訳ありませんが、自分の弱い部分を、この映画の中で生かして昇華することができました。役を通して自分自身を見詰め直すことができましたし、一回り大きくなれました。役を背負って生きた感じがします。本当に、運命のような、奇跡のような作品と巡り合えてよかったと思います。素晴らしいご縁に感謝しています。

(取材・文/田中雄二)

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