母の心の闇に向き合った息子。ショッキングな現実を目にした後、静かな感動が押し寄せる『抱擁』

 

『抱擁』©SUPERSAURUS

昨年の東京国際映画祭で上映され反響を呼んだ『抱擁』(4月下旬よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開)は、これまで200以上のTVドキュメンタリーを手掛けてきた坂口香津美監督が自らの母にカメラを向けた1作だ。

1930年生まれで老齢期を迎えた母親は精神が不安定。夫が倒れて入院するとさらにその症状は悪化して、精神安定剤が手放せなくなる。ほどなくして夫は他界。さらに母親の精神は混迷し、深い闇に包まれていく。

時に収拾がつかないほど取り乱す母親の心の闇とともに、立ち会う息子の心の動揺と哀しみまでもが封じ込められた映像は、はじめショッキングであまりに痛々しく目を背けたくなるほど。

最愛の人を失ったあとに訪れるどうしようもない喪失感、抗うことができない老いとそのことで向き合う厳しい現実、このいまの社会で生きていく孤独や不安、そんな母親の声にならない叫びが痛いほど伝わってくる。

そしていよいよ差し迫ったとき、母親に同じく老齢を迎えた妹が手を差しのべる。その妹の説得で母親は38年ぶりに鹿児島県種子島に帰郷。そこから何かが変わり始める。

都会のひとり暮らしから、田舎での妹との共同生活。地域の住人や親戚らとの交流が始まったとき、母親がいまここにある現実の中で明日に向かって生き始める。それは生きる気力を取り戻した人間の姿にほかならない。“いいこともあれば悪いこともあるこの世の中を、人はどうやって生きていくのか?”。その命題ともいうべき問いへのひとつの答えがこの作品にはある。人と人が支えあい、喜びを分かち合い、共に歩むこと。それをシンプルに伝えるラストシーンを迎えたとき、きっと心が温かな感動に包まれるはずだ。

 

驚異の空中撮影で捉えた、アルプスの究極映像『アルプス 天空の交響曲(シンフォニー)』

 

『アルプス 天空の交響曲(シンフォニー)』 ©VIDICOM 2013

ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、スロベニア、リヒテンシュタイン、スイスの7カ国にまたがるアルプス山脈は、世界有数の観光地。その雄大な自然と美しい山の風景は今も昔も世界中の人々の心をとらえて離さない。

アルプス 天空の交響曲(シンフォニー)』(4月18日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開)は、そんなアルプス山脈を驚異の空中撮影で捉えたドキュメンタリー。いままでみたことのないアングルで、アルプス山脈の大自然が体感できる1本だ。

もともと軍事用に開発された遠方からでもブレないズーム撮影が可能な「シネフレックスカメラ」をヘリコプターの下につけて撮った映像は、自由に大空を飛ぶ鳥の目でとらえたかのようで驚きのシーンの連続。地上からでは決して見ることのできない、登山者でも見たことがないであろうアルプスの驚異の大パノラマが目の前に広がる。そのアルプスの美しさには目が釘付けになることだろう。

その一方で、我々はもうひとつ衝撃的な風景を目撃することになる。それはアルプスの悲しい現実だ。観光化によって失われていく自然、消えゆく氷河など、空中撮影は、それらを上空から白日の下にさらす。雄大な自然に忍び寄る環境破壊。その厳しい事実も私たちは目撃することになる。

いうなれば本作は、アルプスのすばらしい風景も翳り消えゆく風景も丸ごと収めた極上の空中映像集。そのすばらしき映像での遊覧飛行は体感あるのみだ。

 

人生を変える旅に出よう<ハント・ザ・ワールド>

 

<ハント・ザ・ワールド> 『モンタナ 最後のカウボーイ』 ©Ilisa Barbash and Lucien Castaing-Taylor

“インターネットがどんなに普及して世界がつながるのが近くなっても、まだまだ世界は広く、未知の世界がある”。そんな驚きの世界を体感させてくれる特集上映が<ハント・ザ・ワールド [ハーバード大学 感覚民族誌学ラボ 傑作選]>(5月よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開)だ。

この“ハーバード大学感覚民族誌学ラボ”は、美学と民族誌学とのコラボレーションを進めるハーバード大学のラボラトリーだ。アナログとデジタルメディアを駆使した研究プロジェクトの成果として、同ラボは映画、ヴィデオアート、写真、インスタレーション作品などを発表。中でも、その独自のフィールドワークから今までにない独創的なドキュメンタリー映画を次々と生み出し、世界の映画祭で高い評価を得ている。

今回、傑作選として公開される4作品は、同ラボの真骨頂ともいうべき人類学のフィールドワークから生まれた逸品ばかり。いずれもが知られざる驚異の世界を体感する内容になっているといっていい。

2009年に発表された『モンタナ 最後のカウボーイ』は、それこそジョン・ウェイン主演の映画などでもよく描かれてきたアメリカン・カウボーイの歴史の終焉にたちあった貴重な1作。

おびただしい数の羊をひきつれたカウボーイたちが、放牧のためモンタナ州ベアトゥース山脈を縦断していく過程が克明に記録されている。その250キロにわたる旅は、切り立った崖あり、クマの襲撃あり、雪道ありと常に危険と隣り合わせ。見る側は、その今は消え去ったカウボーイたちの過酷な冒険を疑似体験するような感覚に陥る。