加藤登紀子

1966年に『誰も誰も知らない』でデビューし、『ひとり寝の子守唄』、『知床旅情』など、ヒット曲を出し続けてきたシンガーソングライター、加藤登紀子。今年、歌手生活50周年を迎える加藤が、ラトビアからリエパーヤ交響楽団を迎えて、50周年記念コンサート『百万本のバラコンサート』を6月5日(金)の埼玉・サンシティホールを皮切りに開催する。公演を前に、50年の歌手生活や本公演について、その想いを語ってくれた。

加藤登紀子のチケット情報

「50年という年月は長かったと思いますが、まだまだ途中だという想いも少しあります。デビュー当時はわからないことばかりでしたが、今は50年間経験を積み重ねてきた分、やりたいこともたくさん見えてきましたし、自分を好きに出せるようになりましたので、すごく幸せな気持ちでいっぱいですね」と、50年の歌手生活を振り返る。

しかし、歌手を辞めることを覚悟した瞬間もある。「まずは、まだデビュー3年目の1968年の頃に大学の卒業式でデモに参加したとき。クビになることを覚悟していたんですが、見逃していただいて。もうひとつは、1972年に結婚を決めたとき。別の人生もあるかなと思って、子育てもあったので1年間歌っていなかったんです。でもすごく歌いたくなって、曲もたくさん作りましたし、自分が歌うことの意味も確かめられた。やっぱり歌っていないと自分じゃないみたいで、そこからは何があっても歌うことを決めました」。

今回のステージは全編オーケストラをバックに、二部構成で展開。「第一部はオリジナル曲で綴る私の50年。第二部はシャンソンやヨーロッパの曲で構成しています。私が選び抜いた、一番歌いたい曲ばかりですね。それに、二部ではアストル・ピアソラのタンゴを2曲入れて、ドキドキするようなアレンジを作りました。20名以上のオーケストラが演奏で参加していることの醍醐味を感じてもらえるようなプログラムを組んでいます」。

公演に先立ち、先頃、関西フィルハーモニー管弦楽団をバックに、同じプログラムでコンサートを開いた。「オーケストラでやると、とてもダイナミックで、曲の大きさや伝わり方が深まるなと改めて感じました。1曲ずつ、じっくり丁寧に、一人ひとりの身体の隅々に沁み込むまで歌いたいと思います。今も世界ではいろんなことが起きていますが、どんなに国と国とが対立することがあっても、それを乗り越えるだけの愛の力を育むのは音楽だと思うので、そんな想いを『百万本のバラ』に乗せて歌いたいと思います」。

埼玉・神奈川・三重・大阪・長崎・東京公演のチケットは発売中

取材・文:黒石悦子