小泉和裕(c)Fumiaki Fujimoto 小泉和裕(c)Fumiaki Fujimoto

公演迫る東京都交響楽団による「第九」は、終身名誉指揮者小泉和裕が登壇し、日本屈指のソリストと二期会合唱団の出演でひときわ注目を集めている。ベートーヴェンの9つの交響曲を「自分の聖典のような存在」と語る小泉和裕に「第九」の神髄を尋ねた。

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「ベートーヴェンの音楽には、向き合う度に自分の足りないものを突きつけられるような感覚があります。いわゆる到達点が非常に遠いのです。特に、内なる感情や葛藤、意志を投影した交響曲は実に雄弁で、多くのことを語りかけてきます。こちらに追究心や情熱がある限り、どこまでも自分自身を高めてくれる。そんな作曲家をベートーヴェンのほかに僕は知りません。交響曲第9番は若い頃から40年以上、毎年のように振ってきましたが、これで完成した、掌中に収めた、などと思ったことは一度もありません。もちろんその時々で達成感はありますけれどね。何が難しいか?それは、このパートのこの箇所といった『技術』的な問題ではもはやなく、楽曲全体を通してベートーヴェンの意志をいかに伝えるかという『構成力』に尽きます。フレーズの一つひとつに至るまで、どう解釈しどう表現すればベートーヴェンに近づけるか。終わりのない挑戦です。この試練に今年も挑めるというのは、大きな喜びですね。」

「年末に演奏されるようになった背景はさておき、純粋に音楽について考えれば、『第九』で一年を締めくくり来年に向けてエネルギーを得たいという気持ちはよく分かります。実際、世界中の人の心を動かす力を持った作品ですからね。面白いのは、人生の局面や心の状態によって、作品の受け取り方は変わるということ。聴き手のいまを映し出すという一面も、この作品にはあるのだろうと思います。思えば、200年も前に生まれた音楽から、現代を生きる我々が力をもらうというのは、とてつもないことですよね。もしベートーヴェンという灯がなかったら、この世界はいまさぞかし寂しいものになっていたことでしょうね。」

「指揮者というのは、作曲家がしたためた楽譜からその意図を正確に読み取り伝える、いわば“伝道師”のようなものです。僕はいつも指揮台に立つとき、作曲家の存在を頭上に感じ、彼らと共鳴するような感覚があるんです。これでよろしいでしょうか、と。今回、都響と僕の演奏を聴いて『ベートーヴェンへの理解が深まった』と感じていただけたら何より嬉しいです。それこそ僕の目指していることですからね。そうやって音楽の神髄をお届けするために、指揮者は一生涯、勉強を続けるわけです。ホールにいらっしゃるお客様がどんな日々を送り、どんな思いで演奏を聴かれているのか、僕には分かりません。でも時折『勇気が湧いた』『気持ちが慰められた』といった声を耳にすると、音楽の持つ影響力にあらためて責任を感じますし、音楽家として生きていることを幸せに思いますね。」

小泉和裕がタクトを振う、都響スペシャル「第九」は12月24日(月・振休)東京芸術劇場、25日(火)東京文化会館、26日(水)サントリーホールにて行われる。