『ガラスの動物園』舞台より 撮影:谷古宇正彦 『ガラスの動物園』舞台より 撮影:谷古宇正彦

演劇好きなら誰もが知るテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』。長塚圭史により詩情あふれる演出が加えられ、新たな魅力を引き出されたその舞台が3月10日東京・シアターコクーンで開幕した。

『ガラスの動物園』チケット情報

客電が落ち、劇場に闇がわだかまる。しばしの静寂の後、舞台に一筋の明かりが灯ると、光の中には瑛太演じる作品の語り部、作家の分身トムが唐突に立っている。次いで音楽とともに現れたのは、作家自らが「追憶の芝居」と言う劇中に棲み、物語を進める記憶の断片=ダンサーたち。演出の長塚圭史は、執拗かつ膨大に戯曲に書き込まれた作家の記憶と思い入れを、俳優とは異なる身体表現で軽やかに舞台に乗せることに成功していた。

物語はトムの記憶のなかにある過去、母アマンダ(立石凉子)と姉ローラ(深津絵里)との生活と、それを捨てた現在のふたつの時間を往還しながら進んでいく。家族の支配者である母と、ひどく内向的な姉。経済的に行き詰まった1930年代、大恐慌時代のアメリカという背景とともに、トムはこの小さな家族にがんじがらめにされ息苦しく暮らしている。そんな、世界に対して閉じて暮らす3人家族に、風のように現れてさざなみを立てるのはトムの高校時代の同級生にして現在の同僚、かつてローラが想いを寄せていたジム(鈴木浩介)だ。

ささやかでいい、今よりも少しだけ幸せになりたい。4人の登場人物が抱く望みは、形こそ違うけれど時代や国にかかわりなく普遍的なもの。でも、そのための一歩を踏み出すことがいかに難しく、そこには闘いと呼んでもいいほどの葛藤が伴うことを作家は残酷に書き記す。ふたりの子供を深く愛しながらも華やかな過去に執着し、時に感情を暴走させるアマンダを硬軟自在に演じる立石。現実社会に対応できぬもろさと、ガラスの動物たちにだけ心寄せる自分だけの世界を築く頑なさ。ひとりの女性のなかに宿る真逆の資質を鮮やかに表現する深津。明るく、善良で前向き。それゆえに人を傷つけるという矛盾を孕んだ好青年を軽妙に体現する鈴木。そしてふたつの時空を行き来しながら、深く自身に向き合い傷つく男を繊細かつ大胆に生きる瑛太。今、この作品を演じるのはこの4人しかいない、というほどのベスト・キャストが集まっている。従来は重く、観客にのしかかるような作品の空気が、笑いも交えながら心地よく浸透していったのは4人のアンサンブルによるところが大きいだろう。

さらに効果を上げているのが、冒頭にも書いたダンサーの存在。気鋭のダンスグループ「プロジェクト大山」を率いる振付の古家優里は、長塚の演出意図に十全に応え、劇場全体を追憶へと誘い、観る者すべての記憶の扉を開けさせる大役を、ダンサーの身体と動き、その気配までをも操ることでまっとうしていた。そう、この舞台を観ることで観客は自らの記憶、つまりは自分自身と向き合うことを余儀なくされる。誰もが望みながら、果たすことの難しい内なる心の旅。それは観劇後、劇場を出て尚しばらく、貴方を心地よくさまよわせるに違いない。公演は同所にて4月3日(火)まで。 

取材・文:尾上そら