木村拓哉は今日も最前線にいる。

それは、たとえば、最新主演作公開を前にして、「木村拓哉」をお題とした論考の依頼がなされ、いまこうして書かれようとしていることからも明らかだろう。

ある種の現象として語ることのできる存在が、いまの日本に何人いるのだろう。この現象は、少なく見積もっても初めての主演ドラマ「ロングバケーション」(1996)から20年にわたって続いている。

世が世なら、勝新太郎や市川雷蔵、そして石原裕次郎(この3人は同時代人である。勝新と雷蔵は同い年のライバルであり、勝新は3歳年下の裕次郎と親友だった)らに連なる、日本の芸能を象徴するなにものかとして、既に徹底的に論じ尽くされていてもなんの不思議もないはずだが、事態はそのように推移してはいかなかった。

それどころか、木村拓哉という存在について、わたしたちはほとんどなにも語ることができないまま、2015年を生きている。まずは、そのことを恥じることから始めなくてはならない。わたしたち、日本人はいまだ、木村拓哉を語る術を知らない。彼が今日も最前線にいるにもかかわらず。

木村拓哉に仮託されている「かつてのスター像」

この20年のあいだに、娯楽のありようは大きく変化した。価値観は細分化し、定型と呼ぶべき揺らがぬ主軸は見あたらない。多くのものがデビューし、多くのものがこの世を去った。にもかかわらず、かつて20代だった木村拓哉は、40代となったいまも木村拓哉として、待望されている。

これは誠に奇異な現象と呼ばねばならない。20世紀末期から現代に至るまでのこの20年は、かつて、勝新や雷蔵、裕次郎らが生きた20年とは較べものにならないくらい激動かつ高速の時代だからである。

木村拓哉は一貫して、木村拓哉であることを求めつづけられている。スターであれば当然、と見る向きも多いだろう。しかし、それは「かつて」の話だ。わたしたちは勝新や雷蔵、裕次郎の時代を生きているわけではない。21世紀を生きているのだ。

ところが、木村拓哉には「かつてのスター像」が仮託されている。木村拓哉は木村拓哉である。多くのファンは、この同語反復(トートロジー)を頑なに守ることで、木村拓哉という「像」を出現させているように思えてならない。逆に言えば、そのような同語反復が成立する巨大な対象が、もはや現代においては、芸人以外ではほとんど見あたらないことも明るみにしている。