劇中の寿々男は北山さんそのまんま!?

――ところで、劇中の寿々男もトラさんも普段の北山さんそのまんまのような気がしたんですけど(笑)……。

芝居、芝居!(笑)

――自然な感じで、すごくよかったなと思ったんですけど、お芝居をするときに心がけていたことや筧昌也監督とのディスカッションで印象に残っていることはありますか?

意識したこと? そうだな~。相手のセリフをちゃんと聞くってことかな。

これって当たり前のことだけど、自分がやりたいことを詰め込み過ぎていたら、あまり相手のセリフが耳に入ってこないような気がするんですよ。

あとは何だろうな? これももちろん当たり前のことだけど、カメラを意識せずに、そこでナチュラルに起きていることを洞察するぐらいの気持ちでお芝居をするってことかな。

こんなこと言ったら「そんなの当たり前だよ」とか「そんなこと、いちいち言葉にするんじゃない」って笑われるかもしれないけど(笑)、その基本的なことを大切にしながら、その場にその役でちゃんと存在することをいちばん意識していたかもしれない。

その上で、起きた現象に対してリアクションをとっていくことを考えていたような気がします。

――自然なのはそのせいなのかもしれないですけど、原作コミックの寿々男もトラさんもアテ描きなんじゃないかなと思うぐらい似ていますよね。

そうですね。そこに関しては、原作に好きな寿々男の表情がめっちゃあったから、俺もこんな表情をしたいなと思って。この表情になる寿々男はどんな奴なんだろう? ということをいろいろ考えていたかもしれないです。

――その流れでお聞きしますが、代表作の「ネコマン」の最終話が描けない寿々男の気持ちは、同じ表現者として分かりますか?

アイデアが降ってこない的なことですか?(笑)

――それもそうですし、彼はいろいろなこだわりがあり過ぎて描けないのかもしれないですけど。

ああ、そうですね。その気持ちはちょっと分かります。それに、寿々男がやっていることは無から有を生む仕事ですよね。

その0を1にする、何もないところから何かを生み出す作業は生半可な気持ちではできないし、本当に命を削りながらやるスゴいこと。

それをやっている人の苦悩は僕には想像できないので、だからカッコいいと思う部分もあるけれど、共感できるところもありますね。

『トラさん~僕が猫になったワケ~』2月15日(金)公開 配給:ショウゲート ©板羽皆/集英社・2019「トラさん」製作委員会

僕がいまできること

――北山さんは舞台で最初にお芝居をやられて、今回が初めての映画だったわけですけど、舞台と映像の芝居は違うなと思いましたか? それとも、本質は一緒だなと思いましたか?

違うと言えば違うけど、観てくれる人に喜んでもらいたいという気持ちの上に成り立っている根源は同じだと思います。

ただ、芝居の大きさやセリフを言う声の大きさにはもちろん違いがあるし、舞台はすべてが“生”だから、失敗も成功も生もの。それに対して、映画は撮り直せる分、より繊細な表現を求められたりもする。

僕はそのどっちもすごく楽しめたんですけど、新しいことがやれるってだけで嬉しいじゃないですか。自分の履歴書があるとするなら、そこに今回「主演映画」が加わった喜びもあったし、映画作りに俳優部として携れたことが経験も含めてすごく楽しかったんです。

――新しい経験ができたこと自体が楽しかったんですね。

はい。スタートラインに立てたと言うか、まあ、銀幕デビューですよね(笑)。

もちろん、そこにはいろいろな課題があって、表現としての猫や父親、家族をお芝居で一個一個クリアしていかなきゃいけなかったわけだけど、それに挑戦できたこと自体が楽しくて。

もちろん、これがどう評価されるのかはまだ分からないけど、僕がいまできることは全力でやらせていただいたので、走りきったという実感もあるし、本当に楽しかったんですよ。

気さくなトークとフレンドリーな物腰で、どんなことでも楽しそうに話してくれた北山さん。

アイドルとしての自分の立ち位置や役割をちゃんとふまえて、仕事と向き合う彼はとてもクレバーだけど、時折、ヤンチャな男の子の顔が見え隠れするのも魅力かもしれない。

インタビューで本人も触れているように、その悪戯な笑顔は本作の寿々男やトラさんにも投影されている。

映画ライター。独自の輝きを放つ新進の女優と新しい才能を発見することに至福の喜びを感じている。キネマ旬報、日本映画magazine、T.東京ウォーカーなどで執筆。休みの日は温泉(特に秘湯)や銭湯、安くて美味しいレストラン、酒場を求めて旅に出ることが多い。店主やシェフと話すのも最近は楽しみ。