それみたことかとオット男子が意地の悪いどや顔をするのが気に食わない。
ケンカのテーマはあれだ、二次会の会費の金額だ。
オット男子の言い分はすてきな会場、すてきな料理、燃えるビンゴの高級商品!
この三つどもえにこだわり満足して帰っていただくためには、
7000円、8000円のラインはくずせないという言い分だ。
とんでもない。せんべろ女王としての沽券にかかわる。
わがライフワークを全否定するような催しを、みずからすすんでやるというのか。
だいたい私の女友達は会費5000円世代だ。
オット男子は私より6つ年下だ。
「ジェネレーションギャップだな」と言ったのは私だ。
百歩も千歩もゆずるので、5000円ラインで話を早くまとめて、
今夜の酒を楽しく飲みたいのだ。
ところが敵は、
「いや違うね。ユーはもっと時代の空気を読むべきなんじゃない?」
などとホッピーを混ぜながらのたまう。ジャニー喜多川か、ユーは。
かくして立ち飲みながら、鼻の穴を広げ手酌でビールを注ぎながら、
低い声で言い合う二人のかたわらで、
「いやあいやあ、しゃべりすぎちゃって隣の人帰っちゃった」と
シルバーグレイのオッチャンが一人で楽しげにつぶやいている。
オッチャンはあじの南蛮漬け(二尾がででーんと皿に乗る)を
日本酒で旨そうに流し込んでいる。


煮詰まった我々は突破口が欲しかった。
「お近くなんですか」と声をかけたところから、
ケンカカップル+ほろ酔いのオッチャンの”飲み会”になった。
「富士屋本店」は厨房をぐるりと囲むようにカウンターがある。
自然とお隣さんと話す距離感になのだ。
「そ。富士屋本店知らなきゃ渋谷じゃ潜りだって。
悪い店教えられちゃったねー。
仕事帰りにここに寄らなきゃおうち帰れないの。
でもあたしはあれよ、10年間お酒やめてて1年前に復活したとこなの」
「10年も禁酒されてたんですか」
「願掛けみたいなもんね」
「てことは何か願いごとが叶ったんだ」
「ううん、別に叶ってない。娘がさ、去年嫁に行った晩から飲んじゃった。
へっへっへ!」
「それはめでたい。嬉しいお酒ですね」
「嬉しいっちゅうか寂しいっちゅうか、なんちゅか本中華…。生お替わり!」
オッチャンがいきなり叫ぶ。
「えっ、またビールに戻るんスか?」と店員の兄貴。
「そ。ビールで仕上げないとかみさんに飲んできたってバレちゃうもん」
じゅうぶんにバレバレだとは思う。
「父親なんて寂しいもんよ。初めて彼氏に会ったのなんか結納の日だもん。
スーツ着させられてフカヒレ食べに行こうって娘が言うもんで、喜んで
行ったらば、そこに彼氏がいて女房同士がお金渡しあいっこしててさー。
もうやんなっちゃうよ」
オッチャンは生ビールに残った日本酒をミックスし始めた。
そうとう、やんなっちゃったらしい。

こちらは冷やしトマト(250円で丸ごと一個!)と湯豆腐を追加する。
「娘からはビデオ渡されてね。バージンロードとかいうの歩く練習しろって
いうわけだ。いきなり会わせといて何が練習だって思ったけど、誰もいない
とこでこそっと練習したよ。だってカッコ悪い親父じゃ娘が可哀想だしさ。
彼氏には心ん中でプレッシャーかけながら」
トマトが旨い。ビールも旨い。
そしてオッチャンがほのかにいとおしい。

はたとわが父ヒロシを思い出す。
私の湯豆腐好きはヒロシ譲りだ。
「僕らも来月結婚式なんですよ」とオット男子がぼそりと言う。
「そいつぁめでたい! ビールごちそうしなくちゃっ」と
オッチャンがいきなり慌てだす。
「こちらの親父さん(ヒロシのこと)はひどいんですよ。
ボクとまだ付き合ってもないときに、たまたま皆で実家に遊びに行ったら、
いきなり温泉に連れてかれて、風呂んなかで家族構成やらなんやら聞かれて
参りました」
そこへ、うまそうな出汁につかった湯豆腐が登場した。
「…それはそれは、すごい父さんですな。男親が娘の彼氏と一緒に風呂に
入るってのはあれですよ、『君のことはオレが守る。だから君も娘を絶対に守れ』
っていう想いなんですっ。あたしは風呂は無理ですけど、なんですかイチモツに
自信がないというか…。あ、変なこと言ってすみません」
あたたかいつゆにつかった豆腐がすこぶる美味だ。
そして父ヒロシにそんな気概、または自信があったとは1グラムも
思えないが、やたらとこのオット男子と風呂に入りたがったのは事実だ。
「ぶっちゃけ、プレッシャー感じます。義理の息子としちゃあ」
と酔い始めたオット男子が豆腐を食べながらじょうぜつにしゃべりだす。
「あ、でもね9月には孫が生まれるのよ。そうなりゃもう」とオッチャン。
孫が出来れば何もかも万々歳になるようだ。


「でも一応計算したよ。結婚式の日にちから間違いがないかってね!」
…これもまた親心というやつか。
あはははと笑いながら、それぞれ親の顔を思い浮かべる。
なんだか、しんみりじんわりしてきた。
いかんいかん、まだここの名物ハムカツもまぐろブツも食べてない。
「お宅は何月生まれ?」とオッチャンがふいに聞く。
私もオット男子も10月生まれだ。
「ふぉっふぉ、それじゃ『目付け子ども』だな」
なんでも昔の”目付役”が唯一休めるのは大晦日と元日であるからして、
10月生まれはそのときに仕込まれた云々。
こんどは違った意味で親の顔をまた思い浮かべる。
そうこうするうちにラストオーダーの時間になってしまった。
「すっかりしゃべりすぎましたな。末永くお幸せにね。
またここで会いましょう!」
オッチャンは、オット男子とまるで義理の親子のごとく
かたい握手をかわし嵐のように去って行った。
ハムカツもまぐろブツもすっかり食べそびれてしまった。
焼酎をきっちり飲み干したオット男子と、まだ飲み足りない私は、
嵐のようなオッチャンのおかげで先刻のケンカを忘れ
そそくさと二軒目に向かうのだった。

<今宵のお会計>
ホッピーセット 800円
ホッピー外だけ 200円
ビール小瓶 250円×2
生ビール 450円
トマト 250円
タコの刺身 350円
湯豆腐 200円
合計 二人で2750円

【店舗情報】
富士屋本店
東京都渋谷区桜丘町2-3 富士屋商事ビルB1F
17時~21時30分(土曜~20時30分)
日・祝・第4土休

文筆業。大阪府出身。日本大学芸術学部卒。趣味は町歩きと横丁さんぽ、全国の妖怪めぐり。著書に、エッセイ集「にんげんラブラブ交差点」、「愛される酔っぱらいになるための99の方法〜読みキャベ」(交通新聞社)、「東京★千円で酔える店」(メディアファクトリー)など。「散歩の達人」、「旅の手帖」、「東京人」で執筆。共同通信社連載「つぶやき酒場deep」を連載。