【書評】信頼できる主人公のハローワーク小説『ハロワ!』

2011.10.27 10:30

ワケあり求職者たちとハローワーク職員との交流を描いた久保寺健彦による異色の“お仕事小説”『ハロワ!』(集英社)の書評。

 今やハローワークは、病院と同じぐらい、通うのが当たり前の場所になった。まだその愛称がなく、公共職業安定所の正式名称で呼ばれていた1980年代には、考えられなかったことである。あのころバブルを満喫していたひとびとに「あなたは将来、リストラされて職安(が略称だった)に通うことになる」と言ったら、鼻で笑われていたことだろう。

ハロワ!
久保寺健彦
集英社
1,575円
<セブンネットショッピングで購入>

 

 

 

 

 主人公の沢田信は、東京都杉並区のハローワーク宮台で嘱託として働き始めた新米の職員である。受け持ちの部署は職業相談課、求人票を出している企業についての情報を相談してくる者に与え、求職活動について助言を行うのが仕事だ。採用試験を受けて不首尾に終わった場合、その結果について企業の採用担当者に聴取して求職者に伝えることもある。要するに、求職活動を行っている者の伴走者なのだ。
OJTで指導に当たった統括官の千堂は、信にこう言って釘を刺した。
「とにかく、絶対お客さんを怒らせるな。ただでさえ精神的に余裕がない人が多いんだ。件数とか就職率とか、まだそんなことは考えなくていい。傾聴、同意、開示。基本を忘れるな」
相手の言葉をよく聞き、気持ちを逆撫でするような態度をとらず、時には自分自身のことも話して相談に乗る。
傾聴、同意、開示とはそういうことだろう。相手の気持ちを酌んで相談にあたっていたとは、正直意外だった。えー、そんな親切な対応なんてしてもらったことがないよ、と口を尖らせる読者もいるかもしれない。
まあまあ。

 ハローワークに勤める前、信は民間の人材紹介会社にいた。承服できないことがあってそこを辞め、求職者としてハローワークにやって来た。そこで逆にスカウトされ、嘱託として働くことになったのだ。どうやら信は相談者にとって愚痴をこぼしやすい相手であるらしく、一人当たりのバッファも長くなる(バッファとは専門用語で、相談の席についてから立つまでの時間を指す)。当然効率はよくないのだが、相談者からの指名率だけは群を抜いて高くなっていく。中には職員に難癖をつけて就職できない憂さを晴らそうとする相談者もいるのだが、そんな不届き者に対しても信は、誠実な態度を崩さず力になっていこうとするのだ。
言葉尻をとらえて言いがかりをつけ、土下座しろと迫る相手に信は言う。

  「企業さんの本音が求人票に反映されていないことがあって、求職者の方が混乱なさる現状は改善されるべきです。ぼくたちの力不足はご指摘のとおりで、本当に申しわけないと思っております。でも、土下座はしません」
斎藤が笑みを深めた。
「なぜ」
「土下座しても現状は変えられないし、斎藤さんの休職活動が有利になるわけではないからです」(「ミスター論理」) 

 新ハローワーク職員の一年を連作形式で綴る作品であり、沢田信青年の成長を描く教養小説としても読むことができる。最近流行の「お仕事小説」の一種だとまとめることもできるだろう。「お仕事小説」というのは、主人公が慣れない世界に飛び込んで奮闘し、働くことを通じて成長していくというパターンの多い青春小説だ。
しかし、「お仕事小説」という語句から感じる前向きな感じ、無条件に明るい感じがないのがこの『ハロワ!』という作品の特徴でもある。そもそも失業者と相談に当たる職員の話であり、「仕事がない!」という悲鳴を描く小説なのだから、能天気に明るい雰囲気というのは、そぐわないのだ。
もがいても、もがいても先が見えない。
声を上げて救いを求めても、手を差し伸べてくれる人はいない。
そうした求職者たちの声は、この閉塞した時代の姿を代弁するものでもある。状況の中で個人がいかに無力であるかということ、どこにも安全な場所などないということを、沢田信という主人公を通じて作者は書いているのである。各話の終わり方は、いつも寂しく不全感に満ちている。

――仕切りと仕切りにはさまれた、二人だけの空間で、うつろな口がせわしなく動くのをながめながら、信はどこにも行き着けないような心細さを感じていた。(「仕事の仕事」)

  本書を読むべきなのは、ちょっと疲れてしまった人なのだと思う。
「『元気になる』って触れ込みの青春小説もいいんだけど、自分の今の体力だと、ちょっとしんどい。だって途中で疲れちゃいそうなんだもの」
そう。お疲れモードにはまってしまうことは誰にでもあることだ。明るいところになんて出て行きたくない。薄暗い自分の部屋でうずくまっていたい。そんな気分のときには、穏やかな小説を読むと心が落ち着くのである。
『ハロワ!』は、どこを切っても夢物語にはならない、地に足のついた小説だ。だいたい書かれているのは、とことん冷静な現状認識ばかりである。沢田信という主人公がまた、どんな場面であってもかたくなにリアリストであろうとする人物だ。だからこそ、この人なら大丈夫、という安心感を与えてくれる。後をついていってもいいんじゃないかな、と思わせてくれるのである。本を読んでそんな人物に出会えることは、あまりない。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!

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