鬱フェス2015ラインナップ

――たしかにカテゴライズされにくいミュージシャンが集まっていますね。

松永:それでいうとアーバンギャルドは何処へ行っても異邦人、カテゴリーがないんですよ。強いて言うなら「サブカル」や「メンヘラ」にくくられることが多いですが、それは音楽のジャンルじゃなくて思想ですし。

カテゴライズって窮屈に感じる一方で「フォーマットのある人たちはいいな」って思う瞬間もある。つまりそれは言い方を変えると「畑を持っている」ということだと思うので。

例えばアイドル畑にはDDヲタの人がいて、ヴィジュアル畑にはバンギャルがいて、その人達はつねにその畑で新しい野菜を探してるわけですよね。

アーバンギャルドは開墾からはじめないといけない。言うなれば稲作を始めた弥生時代ですよ! O-EASTという荒地で鬱フェスという田畑を開墾しますよ!(笑)

――昨今は大型フェスが全国で開催される一方で、京都大作戦、氣志團万博などのアーティスト主導のフェスも盛況しています。

松永:やっぱり居場所が欲しいんですよ。それに今は、どんな小さなハコでやってる自主企画も「フェス」って言っちゃえる風潮はありますよね。昔は「自主企画」と呼ばれるだけだった数々のアーティスト主導イベントが「フェス」を名乗り始めている。ニュアンス程度の違いですけど「自主企画」と「フェス」の違いは「テーマパーク化」というか「その世界に招待しますよ」っていうスタンスの有無だと思います。

フェスとはコンセプトありきのテーマパークであり、例えるなら「ディズニーランド」であると。

――それはバンドのスタンス自体にもいえますよね。

松永:そういう「世界観の構築」を今一番上手くやっているのがSEKAI NO OWARIじゃないですか。

極端な話、すべてのバンドは阪神タイガースになるしかないんですよ。阪神ファンって日用品も全部虎柄じゃないですか。日用品もそのバンドのグッズで埋めてもらえるような。日常に侵食してきて、本人の物語に食い込んできてしまうようなね。

――「物語」にも色々あるというか、楽曲の世界観やライブの舞台演出も勿論「物語」ですけど、インディーズのアイドルやバンドだったら「ファンと一緒に上がっていって武道館を目指す」という「物語」もあるじゃないですか。

松永:その「上がっていく」物語もひとつじゃなくなったじゃないですか。裏ワザを使えば1年前からCDの予約会をしてオリコンチャート1位になったり、大箱のライブチケットをヲタが買い占めて配って「ソールドアウト!」みたいな。

――でもそれは水面下で行われているわけでもないので、もう「裏」ワザじゃないですよね。

松永:「脱法」ですね(笑)。アイドルに限らずアーティスト性のデフレが起きているような時代に、ブランドをどう作っていくかが大事なんですよね。

やっぱり情報が多すぎるんですよ。ネタが沢山あって、誰かが何の気なしにつぶやいたことが炎上してニュースになるじゃないですか。

情報化社会になってコンピューターは高度になったけど、人間の肉体は進化していない。一人の人間が処理できる情報って限りがあるし、情報を出す側も受け取る側も精査して絞ったほうがいいと思うんです。「ダダ漏れ」の時代は終わったというか。

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