松永:僕たち自身早い時期から自主制作のPVをYouTubeにのせてましたけど、そもそもどこかの大人にお膳立てしてやってもらうほど、当時は大人たちが自分たちのことを支持してくれたわけでもないので、やらざるを得なかったというのもありますけどね。

大人というか、メディアや業界の人に好かれるミュージシャンとそうでないミュージシャンってあるじゃないですか。僕らは明らかに後者。音楽誌のほとんどは僕らを「音楽」としては見てませんから、そのへんの恨み節は話せば長くなりますけど(笑) 。

だけど逆に、昔は「この雑誌に取り上げてもらったら~」みたいなブランド力もありましたけど、今はそういう権威みたいなのもなくなって均一化されてるから、自分たちがオンリーワンの価値観を掲げて、オリジナルなブランドを立ち上げるしかない。

極端な話「鬱フェス」は雑誌なんですよ。サブカル用語でいえば「ZINE」ですよ!我々の!

――自主制作のミニコミ雑誌的な!

松永:音楽雑誌は今後どうなっていくのかなあってすごく興味はありますね。広告を出してインタビューを載せてもらう、つまりアーティスト側にお金がかかるわけじゃないですか。そのルーティンワークだけでやっている雑誌が非常に多くて、面白くなるのかなって考えちゃうんですよ。

――広告費をもらっていても面白い記事はあるわけですし。おそらくですけど、お金が動いているから良くないのではなくて、メディアの影響力が弱くなってしまったから、お金払ってる方の立場だけが強くなってしまった結果、「つまらない」ものになってしまうのでは。

松永:確かに。「お金払ってるんだからちゃんと新譜褒めてよね!」みたいな。音楽雑誌が今やるべきことは提灯記事じゃなく評論として「これがいい!これ良くない!」ってことをもっと議論すべきなんですよ。そのほうが読み物としては絶対面白い。

アーバンギャルドもメジャーデビューアルバムがミューマガのクロスレビューで0点つけられて(『メンタルヘルズ』11年)逆に話題になったし、当事者も「『大人はわかってくれない』傑作できたぜ!」みたいな順風満帆な気分になれましたもの。

だけどそれはWEBでやってはいけないと思う。WEBだと無駄な炎上を引き起こすだけだし、WEBの炎上を見に来る人は「火事場を見学にくる客」と同じでお金払わないじゃないですか。家が燃え尽きたら何の対価も払わずしれっと去っていく。そこはプロレスと同じで、入場料を払って観てもらわないと!

雑誌を買う行為はチケット料ですよ!カルメン・マキとキノコホテルの騒動も50年前の「日本語ロック論争」みたく、ミューマガ誌上で対談すればもっと有意義な話になったはず!

僕は別に派閥は関係なく、おかしいなと感じたら言うだけで。

松永:僕ちょっと前にルミネのネット広告について「神経質な世の中だなあ」みたいなことをつぶやいたら軽く炎上したんですけど。

(※今年3月にルミネが発表したネットCM動画が「女性蔑視」だと炎上し、CM動画を取り下げたことがあった)

――ルミネのネットCM動画も議論されるまでもなく取り下げちゃったじゃないですか。

松永:そうなんですよ、あれはちゃんと連続したCMを最終回まで見せてから討論会でもひらけばよかったんです!それをルミネの広報誌に載せる!そしたらみんなそれ欲しさにルミネに足を運びますよ!

――というかルミネのCMってまだ今年の3月末なんですね、ずいぶん昔のように感じますよ。

松永:だから炎上するだけして忘れちゃうじゃないですか。クレームを入れたモン勝ちみたいな世の中はアーティストにとっては窮屈ですよ。

僕は別に派閥は関係なく、おかしいなと感じたら言うだけで。

だから燃やそうとしているわけでもないし。炎上商法をしているわけでもないけど、仮想敵を作りたい連中は僕を何らかのイデオロギーに押しこめたがる。

ただ一つだけ言いたいのは……やっぱり表現の世界が窮屈になるのは嫌ですね。創作は本来、倫理からも主義からも自由なものだと思っているので。

――炎上した側もすぐ「不快にさせてしまって申し訳ございません」と、「不快」って曖昧な基準でひっこめちゃうのが問題だと思うんですよ。

松永:そこは話をする余地を持ちたいし「不快」じゃないものしかあっちゃいけないんだったら、多くの創作物は世の中から消えますよ。創作はある意味で人の感情を刺激し逆撫でするものですから。

クレームのすべてが悪いとは思いません。仰るとおりだと思うこともままあります。ただ「気に食わないことする奴はクレーム入れれば潰せるぜ」「不快なものは出さないようにしよう」みたいな世の中は非常に危険だな、と。

――悪循環、溜飲を下げるためにSNSをやってる感じになってしまうんですよ。

松永:「嫌な気持ちになった」とだけ書けばいいことを、極端な表現をしてしまうから異常に盛り上がってしまうこの感じ。明らかにネット上でなにか「殴る対象」を探してる人もいますよね。

「どっちが頭いいか」合戦だけになったらいけないんですよね。どういうふうな生き方がしたい、どういうふうな社会になってほしいというのが基本にある議論のはずなのに「あいつらこんなに馬鹿だぜ」「こっちのほうが頭いいぜ」みたいな話にいつの間にかすり替わっちゃうのは、予防線張り過ぎというか、傷つくの恐れすぎ。現代人は知識がないと思われることが怖いのかな。「知らない」は罪なんですかね。

――水掛け論だとわっと盛り上がって収束しちゃう。まあ政治とは関係ないですけど、その生姜ペンライトだって今はバズってますけど来年には忘れられている可能性だってあるわけで。