【『千人回峰』とは、人の生き方についての対談連載です】

昨年4月に亡くなったメルコホールディングス創業者の牧誠氏と私は同学年で、公私ともに深い付き合いをさせていただいた。そうした縁で、牧家の菩提寺住職であり、誠氏と同級生で幼馴染みの神野哲州さんとお話しする機会を得た。牧さんと同級生ということは私とも同級生になる。私がなにげなく「昭和24年の1月2日生まれで……」と口走ると神野さんから驚きの声。「私も1月2日なんです」と。交互に「えー!」と驚き、お互いめでたく古希を迎えることとなった。(本紙主幹・奥田喜久男)


構成・文/小林茂樹 撮影/松嶋優子

独力で給与計算ソフトのプログラムをつくりあげる

神野さんは、昨年4月に亡くなられたメルコホールディングス創業者の牧誠さんと幼馴染みで、牧家の菩提寺である島田地蔵寺の住職もなさっていますね。

保育園時代からの幼馴染みですから、誠君とはおよそ65年間の付き合いでした。彼は実業の道に進みましたから、寺を継いだ私の人生とはだいぶ隔たりがあるのですが、それでも折々に接点がありました。

例えば、どのようなやりとりがあったのですか。

彼がオーディオのビジネスからパソコン関連のビジネスに転換したのが1980年代初頭だと思います。そんな時期、牧さんの家に法事でうかがい読経も終わると、彼が私を部屋に呼ぶのです。そこで、「これからどんな仕事をするんだ?」と聞いたら「パソコンをやる」と。でも、私は「パソコンは大変だよ」って言ったんですよ。

ということは、神野さんもその時代からパソコンをよくご存じだったのですね。

私は新しいもの好きですから、当時、少しパソコンをいじっていたんです。まだ、記憶媒体がカセットテープの頃でしたが。

その時代からやられていたということは、なかなかの本格派ですね。

夜中までやるほど好きでしたね。でも、先輩に脅かされました。“パソコン離婚”という言葉を知っているかと。パソコンに夢中になって奥さんをほったらかしにしていると、ひどいことになるぞと(笑)。

そんな言葉があったかなぁ(笑)。

でも、パソコンは単なる趣味ではなく仕事にも生かしたんですよ。私は、一つだけですが業務ソフトをつくったんです。

どんなソフトですか。

給与計算のソフトです。職員が10人くらいいたのですが、仕訳が面倒でした。いまは簡単にできるソフトがいくらでもありますが、当時はエクセルも何もないですから、それを自分でつくらなければいけないわけです。だから、マニュアルをひっくり返すように読み込んで、試行錯誤の連続でした。

ご自身でプログラミングされたと。

そうです。マニュアルに従って、全然わけの分からないマシン語を入力して、それで動くぞと思ったら動かなくて、必死になって間違いを探したら1文字だけ違っていたなんていうことがよくありました。気がついたら夜中の1時とかざらでしたね。

当時、使っていた言語はBASICですか。

そうですね。そのBASICと格闘していた頃に、誠君からパソコンをやると聞いたんです。

なるほど、その世界を知っていたからこそ「大変だ」とアドバイスできたわけですね。

いやいや、それほどのものではないのですが、パソコンそのものは好きでしたね。それから、私はガリ版で育った世代で、ガリ版の文字だとあまりに個性が出てしまうので、ワープロソフトを使ってみようと考えたのもパソコンを買った理由の一つです。あの頃のパソコンフォントはドット数がとても少なくギザギザしていましたが、文書をつくるにはとても便利だったことを覚えています。その時代のワープロソフトは一太郎が主流でしたが、私はみんなが一太郎を使っているのに最初からWordを使っていたんですよ。

それはなぜですか。

直感で、絶対にWordだと思ったんです。当時、Wordユーザーは非常に少なかったのですが、いまになってみると、その判断はけっこう正しかったのではないかと思っています。

スティーブ・ジョブズと牧誠は同じことを主張していた

誠君に、パソコンの何をビジネスにするのかと聞いたことがありました。そうしたら彼は、「パソコンのカーステレオみたいなものをやる」と。主要部分ではないけれども、“あったら便利だね”というものを本体と別につくっていると答えたのです。

なるほど、そういう意味でカーステレオと。それは牧さんらしい表現ですね。

それがベースにあって「俺はマニュアルのないパソコンをつくりたい」と彼は言うのです。最初は、何を言っているんだと思いました。「マニュアルがなかったら何もできないじゃないか」と言ったら、「おまえはテレビを見るときに、いちいちマニュアルを見るか」と返されました。そう言われれば、なるほどと。このやりとりが、いまでも頭にこびりついているんです。

そこに牧さんの独創性を見たと。

いまでも印象に残っていることにはもう一つ理由があって、その言葉がスティーブ・ジョブズと重なるところがあるんです。

スティーブ・ジョブズですか。

2011年に誠君のお父さんが亡くなったときに、この地蔵寺でお葬式をしたのですが、この年にスティーブ・ジョブズも亡くなっています。そのとき、メルコの社員さんが来ていてお話しする機会があったので、私はジョブズのどこが偉いのかと尋ねました。その人は「パソコンを人間に合わせたことではないか」と言ったんです。

パソコンを人間に合わせる……。

つまり、それまでは機械に人間が合わせて「機械さん、動いてくださいね」という関係だったのに、機械のほうから人間に向かって「使ってください」という関係に変化させたのがスティーブ・ジョブズだと。

そこで牧さんとジョブズのイメージが重なったわけですか。

昔、私が給与計算ソフトをプログラミングしたとき、マニュアルを見ながら必死にコーディングしたのは、まさに人間が機械に合わせる姿でした。

ところが誠君は、そのマニュアルのないパソコンをつくりたいと言い、実際にLANなどの周辺機器で、素人にも簡単に使える製品を数多く開発しています。そして、スティーブ・ジョブズがつくったアップル社の製品にも分厚いマニュアルが添付されることはありません。人間が直感で使うことができるようにすることが、パソコンを人間に合わせるということなのだと思いますね。

なるほど、スティーブ・ジョブズも牧さんと同じことを言っていると。(つづく)

保育園時代の学芸会で

保育園時代、浦島太郎のお遊戯を披露したときのスナップ。最前列の右から2番目が神野哲州氏、その左にいるのが牧誠氏。65年前、5歳のときのひとコマだ。

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

1949年1月、愛知県名古屋市生まれ。70年3月、駒澤大学仏教学部卒業。全日本仏教青年会理事長、全国曹洞宗青年会会長などを歴任。社会福祉法人広徳会天白保育園理事長。日本仏教保育協会副理事長を務める。