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ペニス対決が意外な方向へ
転がりはじめる!

映画『最後の1本』を観たひとの多くが、この“性器の対決”を笑い飛ばそうと劇場に足を運びました。ところが劇場では思わぬ現象が起きています。

もちろん劇場内は笑いに包まれるのですが、少なからぬ人たちが「笑い」よりも「感動」に包まれて映画館を後にするのです。

どこに「感動」してしまうのか、その勘所は人それぞれでしょうが、この映画を覆っているエモーションを一語に集約してしまうなら「さびしさ」です。それもあらゆる人の人生について回る「さびしさ」と断言しましょう。

シッギ館長は個人的な趣味から「ペニス収集」を始めたのですが、老齢にさしかかって感じます。「死ぬまでにヒトのペニスを手に入れてコレクションを完成させたい!」と。
館長にとってはもはやペニスコレクションは「オレが生きた証」なのです。

アラソン爺さんは考えます。「富も名声も手に入れたが、なにかを後世に残したい」と。

ペニスが最適かどうかは別の話として、誰もよりも恵まれた老人が最後に感じるのは「自分が忘れ去られるさびしさ」なのでした。

そして相棒“エルモ”を猛プッシュするトム・ミッチェルさんについては映画のネタバレを避けるためにここでは書きません。

ただ自慢の“エルモ”をちょん切ってまで埋めたい「さびしさ」の正体には、いくらミッチェルさんがキモくて面倒なオヤジでも心打たれずにはいられないでしょう。

事前にマスコミ試写で拝見した筆者は、あまりの切なさに試写室から飛び出しそうになりました。